アーチ・エネミー
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アーチ・エネミー
Arch Enemy
ドイツ・ニュルンベルク公演(2019年6月)
基本情報
出身地 スウェーデン
ハッランド県 ハルムスタッド
ジャンルメロディックデスメタル[1]
スラッシュメタル[1]
デスメタル[2]
ヘヴィメタル[2]
活動期間1996年 - 現在
レーベルロング・アゲイン・レコード
センチュリー・メディア・レコード
サベージ・メサイア・ミュージック
トイズファクトリー
トゥルーパー・エンタテインメント
共同作業者フレドリック・ノルドストローム
アンディ・スニープ
公式サイト ⇒www.archenemy.net/japan/

メンバー

アリッサ・ホワイト=グラズ (ボーカル)

マイケル・アモット (ギター)

ジョーイ・コンセプション (ギター)

シャーリー・ダンジェロ (ベース)

ダニエル・アーランドソン(ドラムス)


旧メンバー

ヨハン・リーヴァ (ボーカル)

アンジェラ・ゴソウ (ボーカル)

フレドリック・オーケソン (ギター)

クリストファー・アモット (ギター)

ニック・コードル (ギター)

ジェフ・ルーミス(ギター)

マーティン・ベンソン (ベース)

アーチ・エネミー(Arch Enemy)は、スウェーデン出身のメロディックデスメタルバンド

北欧の実力派ギタリスト マイケル・アモット等が在籍し、デスボイスの女性ボーカリストを擁する事でも知られる。
概要・背景

カーカス及びカーネイジマイケル・アモット(G)とカーネイジのバンドメイトだったヨハン・リーヴァ(Vo)、そしてマイケルの弟であるクリストファー・アモット(G)を中心に結成される。デスメタルに非常に高い叙情性を有するメロディを導入した音楽を特徴とする。また2001年にボーカリストが男性から女性に替わり、デスメタルシーンにおける女性ミュージシャンの活躍の場の拡大に大きく貢献した[3]

初期の編成は流動的であったが、2001年以降は安定したラインナップを保っていた。しかし、2005年に弟クリストファーが突如脱退。以降、度々ギタリストの交代劇が起きている[4]

世界的にバンドの人気が拡大したのはアンジェラ加入以降で、それ以前については日本は例外として世界的にはあまり知られていない。現在でも彼らにとって最も大きな市場は日本。日本以外ではフランスでも人気が高く、『ウォー・エターナル』ヨーロッパツアーで、彼らが最も多く公演を行った国がフランスである。
バンド名

バンド名の読み方に関してはアーチ・エネミーが本来の英単語の発音に近く、バンドメンバーも本来の英単語のように発音しているが、日本でのレーベルであったトイズファクトリーは日本での読みをデビュー当初アーク・エネミーと表記した為、日本ではアーチ・エネミーとアーク・エネミーの二種類の呼び方が存在している。8thアルバム『KHAOS LEGIONS (ケイオス・リージョンズ)』から、アーチ・エネミーが日本盤でも用いられるようになった為[5]、この項でも、アーチ・エネミーと呼ぶ。

音楽ジャーナリストの酒井康は、「アーク」を誤りとして批判したこともあり、自身がDJを務めていたラジオ等では一貫して「アーチ・エネミー」と呼んでいた。

「archenemy」は「サタン」の意味で、本来は一語である。
略歴マイケル・アモット(G) 2007年
ヨハン・リーヴァ在籍期 (1996年 - 2000年)ヨハン・リーヴァ(Vo) 2006年クリストファー・アモット(G) 2008年

1996年イギリスエクストリーム・メタルバンドカーカス」に参加していたことのあるマイケル・アモット(G)等によって結成される。
1st『BLACK EARTH』
彼はカーカス脱退後スウェーデンに戻り、しばらくハードロックバンド「スピリチュアル・ベガーズ」を結成し活動していたが、デスメタルのプロジェクトとして「アーチ・エネミー」を立ち上げ、1stアルバム『Black Earth(ブラック・アース)』を制作。ロング・アゲイン・レコードからリリースされた。このアルバムはマイケルが殆どの曲を作詞作曲しており、ベースもマイケルがプレイしている。アルバムクレジット上ではヨハンがベースを担当したという表記がなされている。だが実際は、アーチ・エネミーをよりバンドという形に見せる為の手段のひとつだったそうだ。このアルバムは、そのクオリティの高さや日本の所属レコード会社トイズファクトリーのプロモーション効果も手伝って、日本国内で高い評価を受けた。1997年3月には、「カテドラル」の来日公演のスペシャルアクトとして初来日公演を行う。当初はこの公演後、その活動にピリオドを打つ予定だったというが、日本公演でファンに熱狂的に迎えられた彼らはバンドの続行を決意する。この当時のマイケルのメインバンドは「スピリチュアル・ベガーズ」だった。
2nd『STIGMATA』
1998年、2ndアルバム『Stigmata(スティグマータ)』を発表。前作で打ち出した暴虐性をそのままに、沈み込むようなヘヴィなグルーヴが支配する作風となる。このアルバムをレコーディングする際にダニエル・アーランドソン(Ds)が一時バンドから離脱しており、彼の代役としてピーター・ウィルドアー(後にダーケインを結成する)が参加した。また本作より、「センチュリー・メディア・レコード」の所属となった。作品はミドル・テンポの曲を中心に構成されていたが、日本のレコード会社とのライセンス契約の際に、レコード会社側から「これでは納得できない、もう2曲レコーディングしなきゃダメだ。速い曲を」と言われ、急遽、2曲追加することになった。またこのアルバムについてマイケル自身は、ダニエルが復帰した後に行われたアルバム完成後の来日公演でライヴパフォーマンスが酷かったり、そのツアー中にマイケル本人が当時のベーシストであったマーティン・ベンソンとバーで喧嘩した苦い経験もあって、思い入れは浅いと語っている。結局、この後マーティンはバンドを離れている。
3rd『BURNING BRIDGES』
1999年、マーティンの後任にマーシフル・フェイトなどで活動していたシャーリー・ダンジェロ(B)が加入。そして3rdアルバム『BURNING BRIDGES(バーニング・ブリッジズ)』を発表。デビュー時から築き上げてきた暴虐性と叙情性の融合はこのアルバムで完成することとなる。この年に行われたチリ公演ではシャーリーではなくディック・ロウグレン(後にメシュガーに加入)がベースを担当した。同年10月、ウィッチリーを前座に迎えた3度目の来日公演後にシャーリーが脱退。翌2000年1月のネヴァーモアのサポートアクトとして廻った全米ツアーではThe Quillのロジャー・ニルソンをサポートベーシストに迎えて乗り切った。結局、シャーリーは同年中に復帰した。秋には、マイケルがカーネイジ時代からの盟友であったヴォーカルのヨハン・リーヴァを、彼のライヴパフォーマンスにおける技量不足を理由に解雇する。


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