アーサー・C・クラーク
Arthur C. Clarke
コロンボの自宅にて(2005年撮影)
ペンネームCharles Willis,[1]
E.G. O'Brien[1]
誕生 (1917-12-16) 1917年12月16日
イギリス サマセット州 マインヘッド
サー・アーサー・チャールズ・クラーク(Sir Arthur Charles Clarke、1917年12月16日 - 2008年3月19日)は、イギリス出身のSF作家。20世紀を代表するSF作家の一人であり、科学解説者としても知られている。 1950年代から1970年代にはロバート・A・ハインライン、アイザック・アシモフと並んでビッグ・スリーと称されるSF界の大御所として活躍した[3]。他の2人がエンターテイメント、SF叙事詩を志向したのに対して、クラークは豊富な科学的知識に裏打ちされた近未来を舞台にしたリアルなハードSF作品群と仏教思想に共鳴した「人類の宇宙的進化」を壮大に描く作品群とに特色がある。代表作は『幼年期の終わり』、『2001年宇宙の旅』。作品のほとんどが邦訳されている。短編では「太陽系最後の日」や「星」などが有名。SF以外の小説はイギリス空軍時代の体験を基にした1963年の Glide Path(日本語未訳)の一作のみ。 第2次世界大戦中、イギリス空軍にて、空軍少尉兼レーダー技師を務めた。1945年には人工衛星による通信システムを提案した[4][5]。1946年、ロンドンのキングス・カレッジ卒業(物理学、数学専攻)。1946年から1947年まで英国惑星間協会の会長を務め、1951年から1953年にも再び会長を務めた[6]。 1956年、スリランカ(当時セイロン)に移住したが、これはスキューバ・ダイビング好きが高じたのが主な理由であり[7]、死去するまでほとんどの期間をそこで過ごした。『スリランカから世界を眺めて』というスリランカでの暮らしに触れたエッセイ集もある。晩年まで小説を執筆した。1998年エリザベス2世女王よりナイトの称号を授与され[8][9]、2005年にはスリランカの文民向けの最高の勲章 Sri Lankabhimanya を授与された[10]。 メンサ(入会条件を上位2%のIQを有する者に限定した国際的な団体)の会員だった[11][12][13]。 第二次世界大戦中にはイギリス空軍の将校として電波探知法、レーダーの開発に取り組み、教官も務める。レーダーによる早期警戒システム構築に関わり、このシステムがバトル・オブ・ブリテンでの勝利に寄与した。同僚には後にノーベル物理学賞を受賞するマーティン・ライルがいた。戦時中に特に力を入れたのは着陸誘導管制 (GCA) 用レーダーの開発であり、半自伝的小説 Glide Path
概要
生涯にて生まれる[3]。少年時代は天体観測を趣味とし、アスタウンディングなどのパルプ誌をはじめとしたSF小説に熱中していた[14]。1934年に英国惑星間協会へ入会し、活発に活動する(1946年には会長になった)。1936年にグラマースクールを卒業した後は公務員(教育委員会の年金部門の監査役)として働いていた[15]。
静止衛星の概念そのものはクラークの発明ではないが、人工衛星による無線通信の中継(リレー)というアイデアはクラークのものである。