アークヒルズ
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西側に隣接するビルについては「アークヒルズフロントタワー」を、南側に隣接するビルについては「アークヒルズサウスタワー」を、六本木にある超高層ビルについては「アークヒルズ仙石山森タワー」をご覧ください。

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出典検索?: "アークヒルズ" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2011年8月)

アークヒルズ
ARK Hills
東京タワーから見たアークヒルズ。全高の高い白いビルが「アーク森ビル」、手前の茶色の2棟が高級マンション「アークタワーズ」
施設情報
所在地東京都港区赤坂一丁目12-32
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分1.6秒 東経139度44分24.6秒 / 北緯35.667111度 東経139.740167度 / 35.667111; 139.740167座標: 北緯35度40分1.6秒 東経139度44分24.6秒 / 北緯35.667111度 東経139.740167度 / 35.667111; 139.740167
状態完成
着工1983年昭和58年)11月
竣工1986年(昭和61年)
用途事務所店舗共同住宅ホテルコンサートホールテレビスタジオ駐車場
各種諸元
敷地面積41,186.61 [1]
建築面積22,853.71 [1]
延床面積360,608.87 [1]
構造形式鉄骨造(一部鉄骨鉄筋コンクリート造鉄筋コンクリート造
関連企業
設計森ビル一級建築事務所・入江三宅設計事務所・建築設備設計研究所・竹中工務店
施工鹿島建設戸田建設フジタ工業竹中工務店清水建設
デベロッパー赤坂六本木地区市街地再開発組合(森ビルなど)[1]
所有者森ビルテレビ朝日など
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アークヒルズ(ARK Hills)は、東京都港区赤坂一丁目と同六本木一丁目にまたがって位置する複合施設である。赤坂アークヒルズとも呼称される[2]
概要

赤坂から六本木にまたがる5.6ヘクタールにおよぶ街を[3]、赤坂六本木地区市街地再開発組合(理事長森泰吉郎森ビル社長ほか組合員57名)が施工者となり[1]、高層のオフィスビルホテル集合住宅コンサートホール放送局などで構成される複合施設を建設。当時の民間における都市再開発事業としては最大級の規模として、1986年昭和61年)に完成した。

プロジェクトは1967年(昭和42年)に始まっており、完成には計画開始から20年近い歳月を要している。再開発地の対象となった地域のなかでも、とりわけ六本木一丁目は住宅密集地で、古くからの住宅街を潰しての再開発を図る森ビルに対しての反発は強く、街のあちこちに「再開発反対!」「インベーダー森ビルは出て行け」という手書きのビラが貼られた[4]。また再開発地内には寺や教会もあって、新聞に「宗教戦争」などと書き立てられたこともあった。このため最初は乗り気だった6つの寺も檀家を取りまとめることの難しさもあり引いてしまった。地区内にあった霊南坂教会も当初計画では再開発に参加し、教会を中心にした街のプランもできていた。しかし、教会内部の問題で参加を断念せざるを得なくなるなど[5]、計画の進展は困難を極めた。

アークヒルズの再開発では約8割の地権者が地区外に転出した。そのため、「住民追い出し再開発」と非難された。当時森ビル常務で再開発チームの陣頭指揮にあたった森稔はこれについて[4]、現実は、この再開発を最後までやり遂げられること、再開発によって街の価値が上がるということを地権者に信じてもらえなかったことが、転出者が増えた最大の原因ではなかったかと思う。私たちの力不足もあるが、まだ参考となる再開発モデルがなかったことも大きかった。と回顧している[6]

名称の『ARK』は、赤坂(『A』: Akasaka)と六本木(『R』: Roppongi)のつなぎ目(『K』: knot)に由来し、『ARK』にはノアの方舟の意味もある[7]。「アークヒルズ」は大規模都市再開発のさきがけとなったこともあり、開業した年には新語・流行語大賞の新語にノミネートされている。

所在地は虎ノ門の高台の中腹から谷底にかけての起伏に富んだ傾斜地であり、六本木通り首都高速都心環状線首都高速3号渋谷線などの幹線道路に接している。また、開業当初からしばらくは最寄に鉄道駅がなかったが、1997年平成9年)に営団地下鉄(当時)溜池山王駅2000年(平成12年)には同・六本木一丁目駅がそれぞれ至近に開業した。

2011年(平成23年)には、六本木通りを挟んだ向かいにアークヒルズフロントタワーが竣工した。この他にも森ビルが所有していた近隣のオフィスビル(六本木21森ビル・六本木25森ビル)を建て替えた際にも、「アークヒルズ」の名(アークヒルズサウスタワー)が冠されている。
沿革

1967年 - 森ビルが高島湯と周辺の土地を買い入れる。

1969年11月 - 33階の高層ビルの建設を計画、東京都は都市再開発法施行直後だったこともあって、周辺地域も含めた開発を行うことを提案する。

1971年

3月 - 再開発適地調査が行われ、適地として指定される。

5月 - 再開発計画がマスコミなどで公表されるが、住民の反発に遭う。


1972年4月 - 港区によって赤坂地区市街地再開発基本計画が取り纏められる。

1973年9月 - ミニコミ誌『赤坂・六本木地区だより』を創刊し、住民との親善を図る。

1974年1月 - 56階建ての超高層ビルを中心として、庭園の回りに大型商業施設を配するARK構想案が取り纏められる。

1976年6月 - オイルショックを慮り、商業施設からオフィスを中心とした計画に変更されたARK計画案が取り纏められる。

1978年

5月 - 森ビルの社長森泰吉郎(当時)を長とする赤坂・六本木地区再開発準備組合が発足する。

12月 - 東京都道415号高輪麻布線沿いに商業施設、オフィスを配置する第一次計画案が取り纏められる。


1979年

7月 - その後協議を重ねた末、第二次計画案が取り纏められる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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