アーガイル公爵
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アーガイル公爵
Duke of Argyll

創設時期1701年6月23日
創設者ウィリアム2世
貴族スコットランド貴族
初代10代伯アーチボルド・キャンベル
現所有者13代公トーキル・キャンベル(英語版)
相続人ローン侯爵アーチボルド・キャンベル
相続資格初代公爵の直系・非直系男子
付随称号下記を参照
現況存続
邸宅インヴァレリー城(英語版)
旧邸宅アーガイルズ・ロッジング(英語版)
キャンベル城(英語版)
アーディンケープル城(英語版)
モットー忘れるなかれ(Ne obliviscaris)
当主はキャンベル氏族長を兼ねる。

アーガイル公爵(英語: Duke of Argyll, スコットランド・ゲール語: Diuc Earra-Ghaidheil)は、イギリス公爵位。スコットランド氏族(クラン)の一つキャンベル氏族の族長であるキャンベル家は、1445年にキャンベル卿(スコットランド貴族)、1457年にアーガイル伯爵(スコットランド貴族)を与えられた。そして1701年に10代アーガイル伯アーチボルド・キャンベルがアーガイル公爵(スコットランド貴族)に叙されたのがアーガイル公爵位の始まりである。さらに1892年には8代アーガイル公ジョージ・キャンベル連合王国貴族としてのアーガイル公爵位も与えられている。
歴史アーガイル公爵家の居城インヴァレリー城(英語版)をバックに立つ第12代アーガイル公イアン・キャンベル(英語版)(1984年撮影)。アーガイル公爵家のスターリングの邸宅として使用されていたアーガイル・ロッジング(英語版)。
貴族に叙されるまで

キャンベル家はスコットランド中西部を占める巨大なクラン(スコットランドの氏族集団)であるキャンベル氏族の族長(Chief)家系である[1]

スコットランド西部アーガイルにあった古代王家の女系の末裔とされ、14世紀にサー・ニール・キャンベル(英語版)(生年不詳-1315年)がロバート1世の側近として台頭し、ロバート1世の姉マリー・ブルース(英語版)と結婚した。ニールの息子であるサー・コリン・キャンベル(英語版)がアーガイル地方に広大な領地を与えられた[2]
キャンベル卿・アーガイル伯爵

キャンベル家に初めてスコットランド貴族爵位が与えられたのは、サー・コリン・キャンベルの曽孫にあたるダンカン・キャンベル(英語版)(生年不詳-1453年)が1445年にキャンベル卿(Lord Campbell)に叙されたのが最初である[3]

キャンベル卿位を継承した孫の第2代キャンベル卿コリン・キャンベル(英語版)(1433年-1493年)は、西部のクランのローン卿(英語版)ステュアート家の娘イザベラと結婚し、それによってキャンベル家は西部クラン最大のクランとなった[1]。彼の代からキャンベル家の長は「マッカラン・モア」と呼ばれるようになった[4]。彼は1457年にスコットランド貴族アーガイル伯爵(Earl of Argyll)、1470年にローン卿(Lord Lorne)に叙されるとともに[5]、中央政界で活躍し、スコットランド大法官(英語版)やスコットランド法院長(英語版)等を歴任した[6][4]。また1488年には第5代アンガス伯(英語版)アーチボルド・ダグラス(英語版)ら他のスコットランド貴族とともにジェームズ3世廃位の軍を起こして同王を敗死に追い込んでいる[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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