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を翻訳することにより充実させることができます。(2022年2月)翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。アン・カリー(Ann Curry、1956年11月19日 - )は、アメリカ合衆国の女性ジャーナリスト、テレビ番組の司会者、報道写真家である[1]。
15年間、アメリカNBCのニュース番組『トゥデイ』の全国版と『NBCニュース』国際ニュースに出演し、1997年3月から2011年6月までアンカー、2011年6月9日から2012年6月28日まで司会者であった。また、2005年から2011年まで時事番組『デイトライン』のアンカーを務めていた[2]。国際女性メディア財団の役員でもある[3]。 父親がアメリカ人で母親が日本人のハーフ。父親のボブ・カリーはコロラド州プエブロ出身でチェロキー、フランス、ドイツ、スコットランド、アイルランドの流れを汲むアメリカ人である。母親のナガセ・ヒロエは日本人[4]で山形県の米作農家の出身であり、太平洋戦争の終戦後に東京の路面電車の車掌として働いていた際に、進駐軍として駐留していたアメリカ海軍軍人[5]の父親と知り合い、アメリカ軍側は二人の結婚に反対だったが、2年後に日本に行き結婚した。その後、父親の勤務に伴いグアムに居住していた際に生まれたのがカリーである。 海軍勤務である父親は転勤が多かった。カリーはカリフォルニア州のサンディエゴやアラメダ、長崎県佐世保市、バージニア州バージニアビーチなどで育った。佐世保では米軍基地内のアーネスト・キング・スクールに通い、オレゴン州アシュランドに引越しアシュランド高等学校
人物
改宗した母親の影響でカトリック教徒である。
大学時代に出会ったソフトウェア会社幹部である夫、ブライアン・ロスとの間に娘、マッケンジーと息子、ウィリアム・ウォーカー・カリー・ロスがあり、現在はニューヨークのグラマシーパーク(Gramercy Park)地区に居住している。日本語は片言程度である。母親は2001年、胆嚢癌により死亡した。 1978年、オレゴン州メドフォードで当時NBC(現在CBS)系列のKTVLでインターンとして報道のキャリアを開始し、局で最初の女性ニュース・リポーターとなった。1980年、ポートランドのNBC系列KGW[7]に異動し、リポーターとアンカーとなった。 1984年から1990年、ロサンゼルスのKCBS-TVにリポーターとして勤務し、1987年のロサンゼルス地震、1989年のカリフォルニア州サンバーナーディーノでのパイプライン爆発でエミー賞を2度受賞。
職歴