アンリ1世
Henri I
フランス国王
在位1031年 - 1060年
出生1008年5月4日
フランス王国、ランス
死去 (1060-08-04) 1060年8月4日(52歳没)
フランス王国、ヴィトリー=オー=ロッジュ
埋葬フランス王国、サン=ドニ大聖堂
配偶者マティルド・ド・フリーズ
アンナ・ヤロスラヴナ
子女フィリップ1世
ユーグ
家名カペー家
王朝カペー朝
父親ロベール2世
母親コンスタンス・ダルル
宗教キリスト教カトリック教会
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アンリ1世(フランス語:Henri Ier, 1008年5月4日 - 1060年8月4日[1])は、フランスのカペー朝第3代国王(在位:1031年 - 1060年)。ロベール2世(敬虔王)と3番目の王妃コンスタンス・ダルルの間の次男。 フランス北東部、シャンパーニュ地方のランスで生まれた。1017年から1031年までブルゴーニュ公となる。1027年5月14日、早世した兄ユーグに代わる父王の共同君主としてランスのノートルダム大聖堂で戴冠式を挙行し、その4年後の1031年に父王の崩御により単独のフランス王に即位した。 即位後も、末弟ロベールを支持する母妃の反乱やブロワ伯ウード2世の抵抗を受け、ロベールにブルゴーニュ公を譲って事態の収束を図った[2]。後に、このとき支援を受けたアンジュー伯ジョフロワ2世(ジョフロワ・マルテル)やノルマンディー公ギヨーム2世の台頭を許すこととなる[3]。 アンリ1世はコンラート2世の娘マティルデと婚約したが、マティルデは1034年に薨去した。同年のうちにフリースラント辺境伯リウドルフの娘マティルダと結婚したが、マティルダも1044年に死去した[4]。のち、1051年5月19日にキエフ大公ヤロスラフ1世の娘アンナと再婚し、第4代国王となるフィリップ1世、ヴェルマンドワ家の祖ユーグをもうけた。
生涯
先代
ロベール2世フランス国王
1031年 - 1060年次代
フィリップ1世
先代
オット=ギヨーム