アンリ・ルフェーヴル
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アンリ・ルフェーヴル1971年
人物情報
生誕 (1901-06-16) 1901年6月16日
フランス
ランド県アジェモー(フランス語版)
死没 (1991-06-29) 1991年6月29日(90歳没)
フランス
ピレネー=アトランティック県ナヴァランクス
出身校エクサン=プロヴァンス大学
学問
研究分野マルクス主義社会学
研究機関フランス国立科学研究センター
ストラスブール大学
パリ・ナンテール大学
パリ都市計画研究所
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アンリ・ルフェーヴル(フランス語: Henri Lefebvre、1901年6月16日 - 1991年6月29日)は、フランスマルクス主義社会学者知識人哲学者
経歴

1901年、フランス南部のアジェモー(フランス語版)(ランド県)で生まれた。母親は農家出身でカトリック、父親は中産階級出身でリベルタン(フランス語版)(無信仰家)もしくはヴォルテーリヤン(ヴォルテール主義者)であった。ルフェーヴルが生まれ育ったピレネー(特にバスク)地方ではカトリック教徒の影響が強い地域であり[1]、『総和と余剰』によるとルフェーヴルがマルクス主義者となった一因は、宗教への反発があったという。

もともとは技術者を目指していたが、第一次大戦後の混乱と持病の肋膜炎が進学試験準備期と重なったために断念する。エクサン=プロヴァンス大学へ進学。1928年、フランス共産党に入党。以後、ながらく在野の哲学者・社会学者として活動した。1930年からリセの哲学教員として教壇に立つが、1940年のドイツ軍によるパリ占領にともない、ナチス・ドイツを批判する『欺かれた意識』(1936年)や『ドイツにおけるファシズムの五年――権力の座についたヒトラー』(1938年)などの著作が「オットー・リスト」(禁書目録)に登録され、あわせて共産党員だったこともあって、ルフェーヴルはヴィシー政権によって公職(教職も含む)から追放された。

1944年から1949年にかけて、トゥルーズのラジオ局ラディオディフュジオン・フランセーズ(RDF)(英語版)の局長を務める。1947年、トゥルーズのリセで教職に復帰する。翌1948年、フランス国立科学研究センター(CNRS)の研究員となる。その目的は農村社会の研究を続けるためであったが、やがて社会状況の変化にともない都市社会に関心を移した。

1950年代、正統派マルクス主義から一線を画する姿勢は、特にスターリン主義批判というかたちで表面化した。これがきっかけとなり、フランス共産党から1958年に除名される。

1962年にストラスブール大学、次いでパリ・ナンテール大学の社会学教授になった。最終的にはパリ都市計画研究所教授に就いた。日本で最もよく知られている彼の著作のほとんどは、この時期のものである。1991年、ナヴァランクスピレネー=アトランティック県)で死去した。

ルフェーヴルの訃報を受けて、Radical Philosophy誌は次のように報じた。「フランス・マルクス主義知識人たちのうちで最も多作な人物が、1991年6月28日から29日にかけての夜に、その90歳の誕生日の直後に亡くなった。長い経歴のあいだに彼の仕事は、時代・時期に応じて時に広く受け入れられ、あるいはそうでなくなったりした。だが、哲学だけでなく社会学・地理学・政治学・文学批評の発展にも同様に影響を与えた」
研究内容・業績
日常生活批判

彼流に仕上げられた「弁証法的唯物論」のなかでは、個人と具体的なプラクシスが中心的な場所を占めている。ひとつの代替的な社会人類学を提案しながら、アンリ・ルフェーヴルは、日常性(: quotidiennete)が、資本主義のもとでそれがまとっている、支配的諸階級によって集団生活に押し付けられた特徴・性格を再生産することにのみ役立つような役割から、解放されることの必要性を支持したのである。習慣: habitude)は、非歴史的ゆえに真正でないその時間性とともに、支配関係を再生産し永続させる以外のなにものも為さないとされる。日常性は一種の地下鉱床のようなもので、そのなかに諸々の協約(pacte)や権力の諸々の嘘が堆積している。夢想(: fantaisie)と創意工夫の能力(: inventivite)が固有の自律的表現にむかう経路を見出すことを妨害する障壁がそこに存在する。

このことから、ルフェーヴルによって芸術に付与された特権があり、これはその自律性において以上に、毎日の生活様式の協約性の根拠なき特徴を証明することが可能な美的経験の手段として理解されている。近代芸術は日常性の廃絶の諸条件を提起するのである。これらの理論は、ルフェーヴルが若い頃所属していた、シュルレアリスム運動の経験と洞察に関連している。『日常生活批判』三部作(1947年、1961年、1981年)は非常に深化された仕方でこの思考を提示している。

日常生活批判はアンテルナシオナル・シチュアシオニストのインスピレーションの息吹のひとつであり、また支配関係の再生産についてはピエール・ブルデューの、芸術による解放についてはベルナール・スティグレールのうちにも同様に見出される。

(日常生活批判に関連する著作)

Critique de la vie quotidienne, 1947, L'Arche 〔邦訳『日常生活批判 序説』〕

Critique de la vie quotidienne II, Fondements d'une sociologie de la quotidiennete, 1961, L'Arche 〔邦訳『日常生活批判1』『日常生活批判2』〕

Critique de la vie quotidienne, III. De la modernite au modernisme (Pour une metaphilosophie du quotidien), 1981, L'Arche 〔邦訳なし〕

La Vie quotidienne dans le monde moderne, 1968, Gallimard 〔邦訳『現代世界における日常生活』〕

Elements de rythmanalyse: Introduction a la connaissance des rythmes, 1992, avec Catherine Regulier-Lefebvre, preface de Rene Lourau, Syllepse 〔邦訳なし〕

都市社会学

つづいて、都市計画(urbanisme)と国土(territoire)の諸問題に特に専念し、都市を日常的なものに対する美学的蜂起の心臓部として提示する。

(都市社会学に関連する著作)

La vallee de Campan - Etude de sociologie rurale, 1963, PUF

Pyrenees, 1966

Le Droit a la ville, I, 1968 (2° edition)〔邦訳『都市への権利』〕


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