アンリ・コルピ
Henri Colpi
生年月日 (1921-07-15) 1921年7月15日
没年月日 (2006-01-14) 2006年1月14日(84歳没)
出生地ブリーク
死没地マントン
国籍 スイス
受賞
カンヌ国際映画祭
パルム・ドール
1961年『かくも長き不在』
脚本賞
1963年『Condine
アンリ・コルピ(Henri Colpi、1921年7月15日 - 2006年1月14日)はスイス出身でフランスで活躍した映画監督、雑誌編集者、脚本家、音楽家、編集技師。ヌーヴェルヴァーグを支えた編集技師として、またマルグリット・デュラス脚本による映画『かくも長き不在』の監督として知られる。
来歴・人物)へ。
1947年、『映画とその人々 Le cinema et ses hommes』を執筆、出版。
1949年5月、週刊の映画雑誌『レクラン・フランセ』出身の当時23歳のジャーナリストのジャン=シャルル・タケラと、当時27歳のコルピは月刊誌『シネ・ディジェスト』を創刊。おもな執筆者は、タケラ、コルピ、アレクサンドル・アストリュックほか。1950年6月、同誌は第14号をもって廃刊。
1951年4月にアンドレ・バザンらによって『カイエ・デュ・シネマ』誌が創刊され、1956年4月の第58号には、『「ピカソ 天才の秘密」はいかにして生まれたか Comment est ne ≪ Le Mystere des Picasso ≫』を巻頭に寄稿[1]。
1950年代、演出家となるまでのコルピは、編集技師としてアラン・レネ『二十四時間の情事』や『去年マリエンバートで』、アニエス・ヴァルダの長編デビュー作『La Pointe Courte』を手がけ、ヌーヴェルヴァーグをモンタージュの側面から支えた。チャールズ・チャップリンに呼ばれ『ニューヨークの王様 A King in New York』も編集している。また1980年になってからも寺山修司の監督作『上海異人娼館/チャイナ・ドール』の編集も担当した。
1961年の監督作『かくも長き不在』でルイ・ドゥリュック賞およびカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞しているが、長編映画は数本しか監督しておらず、主にテレビシリーズなどを手がけた。
主な監督作品
かくも長き不在 Une aussi longue absence (1961)
ミステリー島探検/地底人間の謎 La Isla misteriosa y el capitan Nemo (1973)
書籍
Le cinema et ses hommes, Henri Colpi, Causse, Graille et Castelnau, 1947. In-8° broche, 376 p
註^ ⇒N°58, avril 1956 - Cahiers du Cinema.com
『ピカソ 天才の秘密 Le Mystere Picasso』監督アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、編集アンリ・コルピ、1956年。