アンブローズ・ビアス
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アンブローズ・グウィネット・ビアス
アンブローズ・ビアス(1892年撮影)
誕生

Ambrose Gwinnett Bierce
(1842-06-24) 1842年6月24日
アメリカ合衆国オハイオ州メイグス郡
失踪1913年12月26日以降消息不明[1]
職業.mw-parser-output ul.cslist,.mw-parser-output ul.sslist{margin:0;padding:0;display:inline-block;list-style:none}.mw-parser-output .cslist li,.mw-parser-output .sslist li{margin:0;padding:0 0 0 0;display:inline-block}.mw-parser-output .cslist li:after{content:"、"}.mw-parser-output .sslist li:after{content:";"}.mw-parser-output .cslist li:last-child:after,.mw-parser-output .sslist li:last-child:after{content:none}

軍人

ジャーナリスト

作家

言語英語
国籍アメリカ
ジャンル

風刺

ジャーナリズム

短編

恐怖小説

戦争文学

幻想文学

空想科学小説

西部劇

回顧録

ユーモア

文芸批評



文学活動写実主義文学(英語版)
代表作悪魔の辞典
配偶者メアリー・エレン・"モリー"・デイ(1871年 - 1904年)
署名
兵役経験
所属組織アメリカ合衆国(北軍
軍歴1861年 - 1866年
最終階級中尉
部隊第九インディアナ歩兵連隊部隊
戦闘アメリカ南北戦争
ウィキポータル 文学
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アンブローズ・グウィネット・ビアス(Ambrose Gwinnett Bierce, 1842年6月24日 - 1913年12月26日以降消息不明[1])は、アメリカ合衆国軍人作家ジャーナリストコラムニストである。南北戦争が始まると、ビアスは北軍に志願し、戦場を駆け巡った。除隊後、雑誌の編集者、新聞論説委員、ジャーナリストとして活動し、記事を寄稿し、本を出版した。

アメリカ独立200周年記念管理局は、ビアスによる著書『悪魔の辞典』(The Devil's Dictionary)について、「アメリカ文学における最高傑作の一つ」に選んだ[2]。短編『アウル・クリーク橋での出来事(英語版)』は、「アメリカ文学においてもっとも著名な作品であり、何度となく選集化されている物語である」と評された[3]。グローリア同好会(英語版)は、ビアスの著書『Tales of Soldiers and Civilians』(『兵士と民間人の物語』、この著書は『In the Midst of Life』の題名で出版された)について、1900年以前のアメリカで印刷された本の中で、極めて影響力のある100冊のうちの一冊」に選んだ[4]

多芸多才であり、多作の作家でもあったビアスは、アメリカ合衆国における極めて影響力あるジャーナリストの一人として高く評価されており[5][6]、写実主義文学(英語版)の草分け的存在と見做されている[7]。文芸批評家のマイケル・ディルダ(英語版)は、ビアスの書いた恐怖小説について、エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)やハワード・フィリップス・ラヴクラフト(Howard Phillips Lovecraft)と並ぶ存在である、と位置付けている[8]。文芸評論家のS・T・ヨシ(S.T. Joshi)は、ビアスについて「アメリカが生んだ最も卓越した風刺作家であり、ユウェナリスジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift)、ヴォルテール(Voltaire)に取って代わる存在となる可能性がある」と考えている[9]。ビアスの書いた戦争文学は、スティーヴン・クレイン(Stephen Crane)やアーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)にも影響を与えた[10]。ビアスは有力で畏怖される文芸批評家の一人と見做されている[11]。彼が残した詩も重要な作品と考えられており、寓話作家としても敬意を集めつつある[12][13]

1913年、ビアスは革命の真っ只中であったメキシコを取材するため、現地へ赴く趣旨を記者団に告げた[14]1913年12月26日、ビアスは友人に宛てた手紙を残したのち、跡形もなく姿を消し、二度と姿を見せることはなかった。
生い立ち

1842年6月24日オハイオ州メイグス郡にて、マーカス・オウレリアス・ビアース(Marcus Aurelius Bierce, 1799 - 1876)と、ローラ・シャーウッド・ビアース(Laura Sherwood Bierce)の間に生まれた。アンブローズの生まれた場所は丸太小屋の中であった[1]。彼の祖先は、1620年から1640年にかけてアメリカ大陸へと渡ってきたイングランド清教徒であった[15]。のちにアンブローズは、「清教徒たちの価値観」やその系譜に対して甘い顔を見せる人々に対する批判的な記述を書くようになる[16]。アンブローズは、13兄弟のうちの10人目の子供として生まれた。父・マーカスは、自身の子供全員に「A」で始まる名前を付けた[17]

アンブローズの母・ローラは、マサチューセッツ植民地総督、ウィリアム・ブラッドフォード(William Bradford)の子孫でもある[18]

貧しい家庭で育ったアンブローズであったが、文学の素養がある両親の影響を受けて、読書や読み書きに対して強い関心を抱くようになった[1]インディアナ州コスィアスコ郡にて育ったアンブローズは、ウォルソウ(英語版)にある高校に通った。15歳で家を出たアンブローズは、奴隷制度廃止を掲げていた小さな新聞社『The Northern Indianan』にて印刷見習いとして働き始めた[1]
南北戦争

ビアスはケンタッキー州にある軍事学校で学んでいた[19]が、生徒の一人がこの校舎に放火して全焼し、建物は閉鎖された。

南北戦争が始まると、ビアスは北軍(The Union Army)に志願し、第九インディアナ歩兵連隊に配属となった。1861年のウェスト・ヴァージニア作戦(The Operations in Western Virginia)におけるフィリッピの戦いに従軍した際、砲弾が飛び交う中、重傷を負った一人の戦友を救出する豪勇さを見せた。インディアナ州の新聞記者は、ビアスについて「『銃弾が雨あられの如く飛び交う』なか、『敵の視界が開けている状況下』で、敢然と立ち向かった」と報じた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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