アンフィマコス_(太守)
[Wikipedia|▼Menu]

アンフィマコス(:?μφ?μαχο?, ラテン文字転記:Amphimachos, 生没年不明)は、マケドニア王アレクサンドロス3世(大王)の死後に太守に任じられた人物である。

これ以前の経歴は不明であるが、アンフィマコスはアレクサンドロス3世死後の紀元前321年トリパラディソスの軍会メソポタミアとアルベラ地方の太守に任じられた[1]。アンフィマコスは「王の兄弟」と言われており、ピリッポス2世とラリサのフィリンナとの子であるとも言われる[2]紀元前317年からその翌年にかけてのアンティゴノスエウメネスとの戦いではアンフィマコスはエウメネスに与し、パラエタケネの戦いでは騎兵部隊を率いた[3]。しかし、翌年にエウメネスはアンティゴノスに滅ぼされてエウメネスの同盟者たちはアンティゴノスの軍門に下ったり、あるいはアンティゴノスに処刑されるなどしたが、アンフィマコスの名は言及されておらず、エウメネス最後の戦いであるガビエネの戦いで戦死したかアンティゴノスによって処刑された可能性もあるが、エウメネス死後のアンフィマコスのはっきりした消息については不明である。
^ ディオドロス, XVIII. 39
^ Heckel, Waldemar, p.22
^ ディオドロス, XIX. 27

参考サイト

ディオドロスの『歴史叢書』の英訳版

Heckel, Waldemar. Who's Who in the Age of Alexander the Great [1] (P. J. Rhodes, R. Osborne: Greek Historical Inscriptions 404?323 BC.)


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:3739 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef