「円形劇場」はこの項目へ転送されています。ドイツ、トリーアの円形劇場については「円形劇場 (トリーア)」をご覧ください。
ローマのコロッセオ
アンフィテアトルム(ラテン語:amphitheatrum、英語:amphitheatre)は、円形劇場(えんけいげきじょう)を意味するラテン語である。古代ローマにおいて剣闘士競技などの見世物が行われた施設のこと。中央のアリーナと呼ばれる空間を観客席が取り囲み、全体としては楕円形の構造を持つ。イタリア、ローマ市内に残るコロッセオが有名。 「アンフィ」(amphi-)は「周りに」(もしくは「両側に」)、「テアトルム」(theatrum
名称
ポンペイに現存する最古のアンフィテアトルムの石碑によれば「スペクタクラ(観覧用の建物)」という語が使われていたが[1]、ウィトルウィウスにより初めてアンフィテアトロンという語が使用された[2]。
日本語では円形劇場や円形競技場と訳される場合があるが、円形闘技場とするのが正しい。
なぜなら、舞台に対して一方のみに半円形の観客席を持つ形式の劇場(いわゆるローマ劇場)や、陸上競技・体育競技やとりわけ戦車競技が主として行われたトラック状の競技場(ギリシア語でスタディオン、ラテン語でチルコ
)としばしば混同されているが、専ら演劇のために用いられるローマ劇場や戦車競技で著名な競技場に対して、アンフィテアトルムは様々な見世物のための場であり、これらは形状だけでなく役割の上からも明確な区別をする必要がある[3]。古代ローマ領土の数多くの都市が、アンフィテアトルムとローマ劇場、それに競技場を備えていた。現存する最古のアンフィテアトルムはポンペイのもので、紀元前80年頃に建設されている[1]。このころから3世紀まで古代ローマの各都市に建設されていった[4]。
ローマ市内では紀元前29年建設のスタティリウス・タウルス円形劇場が最初のものであるが、これは64年のローマ大火のときに失われている。その後、史上最大の規模を誇るフラヴィウス円形闘技場(通称コロッセウム、コロッセオ[5])が建設され、80年に完成した[6]。カストレンセ円形闘技場は3世紀頃、市壁の一部に転用され[7]、アーケードは埋め立てられてしまっている[8][9]。
帝政期にはイタリア半島内だけでアンフィテアトルムは163都市にあったといわれるが、2006年現在では108都市で遺跡が確認されている[10]。 剣闘士競技は以下の理由により徐々に下火になり、その舞台であるアンフィテアトルムも過去の遺物となっていく[11]。 しかしその後は本来の目的である闘技場としてではなく、他の様態に再利用されていくこととなった[12]。
後世の利用
訓練生の不足と、養成学校閉鎖のスパイラル
都市財政の窮乏
勃興したキリスト教からの批判
326年コンスタンティヌス1世の勅令で廃止を決定(ただし、以後も小規模ながら一部では存続)
要塞
この利用形態は11世紀ごろまで。更地から城砦を建設するより有利。