アンノボン島
Isla de Annobon
Ilha de Ano Bom
所在地 赤道ギニア
所在海域大西洋
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯1度24分 東経5度38分 / 南緯1.400度 東経5.633度 / -1.400; 5.633
アンノボン島(アンノボンとう、スペイン語: Isla de Annobon、ポルトガル語: Ilha de Ano Bom)は、中部アフリカの赤道ギニアに属する火山島。1970年代にはパガル島(スペイン語: Pagalu[1])と呼ばれていた。東西4km、南北7kmで、面積は約17km2である。南緯1度24分、東経5度38分に位置する(島の中央)。 赤道ギニアは大陸部(リオ・ムニ)のほか、5つの島で構成されている。コリスコ島、大エロベイ島、小エロベイ島の3つは大陸棚に位置する陸島だが、首都マラボを擁するビオコ島とアンノボン島は、カメルーン火山列から続くホットスポットによって湧き上がった火山島である。この2島はいずれもギニア海膨
地理
アンノボン島はビオコ島から南西690kmの地点に位置する。大陸(ガボンのロペス岬)とも400km以上離れている。2島の間にはサントメ・プリンシペを構成するサントメ島とプリンシペ島が浮かぶ。アンノボン島は赤道ギニア最南部に相当し、国内で唯一南半球に位置する。
湿度が高く、降雨または霧が毎日のようにあり、アンノボン島の雲のない日はほとんど記録されていない。
赤道ギニアは7つの県で構成されている。アンノボン島は、全体がアンノボン県に区分されている。県都は島北部のサンアントニオ・デ・パレ。アンノボン島の人口は2500人。 アンノボン島の位置 アンノボン島を発見したのは大航海時代のポルトガル人ディエゴ・ラミレス・デ・ラ・ディアスであり、1470年に到達し、島をサンアントニオと名付けた。ポルトガル人到着以前は無人島だった。1474年にポルトガル人が島を植民地化し、アンゴラからサントメ島経由でエスクラボス・デ・レガテと呼ばれる黒人奴隷が島に送られた。16世紀からフォロスと呼ばれる解放奴隷の黒人とヨーロッパ人との混血も進みクレオール化していった。1778年にポルトガルはエルパルド条約でスペインにアンノボン島を割譲し後のスペイン領ギニア
歴史
主要産業は漁業と林業である。電気や水道はあまり通っていない。1992年に赤道ギニア最大の海底油田が島の周辺の海底で発見されており、石油資源も有望である。 島民はポルトガル人とアンゴラから奴隷として連れて来られた黒人の入植者の混血のメスティーソなどが多く、スペイン人も混じっている。島民はポルトガル文化の影響が強く、島民の赤道ギニアに置ける初期の反スペイン感情から近くのサントメ・プリンシペやアフリカ本土のポルトガル語園の国との結びつきが強い。宗教はカトリック教徒が多い。島民は赤道ギニアの第一公用語のスペイン語も話すがスペイン語よりも、ポルトガル語を幅広く話し、16世紀のポルトガル語の抑揚を残すバントゥー語群の変形ファ・ダンボ [脚注の使い方] ウィキメディア・コモンズには、アンノボン島
産業
住民
脚注
^ Sailing Directions (Enroute), Pub. 123: Southwest Coast of Africa (PDF)
関連項目
赤道ギニアの地理
カメルーン火山列
典拠管理
全般
VIAF
1
WorldCat(VIAF経由)
国立図書館
ドイツ
⇒イスラエル
アメリカ
スウェーデン
その他
SUDOC(フランス)
1