アンネシュ・ベーリング・ブレイビク
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アンネシュ・ベーリング・ブレイビク
Anders Behring Breivik
ブレイビクが警察官になりすますためにウトヤ島で実際に身につけていた偽造の警察身分証。逮捕後に警察が押収した実物。
生誕 (1979-02-13) 1979年2月13日(45歳)[1]
 ノルウェー オスロ[2]
国籍 ノルウェー
別名Andrew Berwick[3]
Sigurd Jorsalfare(ノルウェー防衛同盟(英語版))[4]
Andersnordic (WoW[5]
Fjotolf Hansen (2017年6月以降)[6]
出身校オスロ商業高校(ノルウェー語版)
宗教キリスト教ノルウェー国教会[7][8]
罪名テロ、及び殺人の容疑(ノルウェー連続テロ事件
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アンネシュ・ベーリング・ブレイビク(Anders Behring Breivik, [??n??? ?be???? ?b?a??i?k], 1979年2月13日[1] - )は、ノルウェーテロリスト極右思想から単独で2011年7月22日ノルウェー連続テロ事件を起こした。2017年6月9日、フィヨトルフ・ハンセン (ノルウェー語: Fjotolf Hansen)と住民登録を改名した。
生い立ち

1979年2月13日オスロ生まれ[2]。父はイェンス・ダーヴィド・ブレイビク(ノルウェー語版)。母は看護師のヴェンケ・ベーリング(Wenche Behring)。父イェンスは経済学者外交官ロンドンパリに駐在した。両親は1歳の時に離婚、母ヴェンケが親権を得た。母・異父姉と共にオスロで暮らし、再婚したフランス駐在中の父イェンスには定期的に会いに行った。父イェンスはブレイビクが12歳の時に再度離婚した。母ヴェンケはノルウェー陸軍の将校と再婚している。この母は児童福祉サービスによると、気性が激しく暴力的だったという。

ブレイビクはノルウェー労働党中道左派)支持である両親の政治姿勢を批判、母を「穏健フェミニスト」としている。スメスタッド小学校(ノルウェー語版)、リース中学校(ノルウェー語版)、ハートウィグ・ニッセン高校(ノルウェー語版、英語版)、オスロ商業高校(ノルウェー語版、英語版)と進む。クラスメートの話では成績が良く、いじめの被害者をよく手助けしていたという。

やがて非行グループに入り、夜中に町中をうろついたり、スプレーで落書きなどをするようになる。16歳の時落書きで逮捕され、この時以来、父親とは1度も会っていない。逮捕時に仲間を裏切り、グループから離脱、親友とも別れた。

19歳の時、200万クローネを株式投資の失敗で失う(約3000-4000万円)。ブレイビクは自身を優れた実業家だと思っていたが、実際には2000年代初頭に従事していた会社はすぐに倒産していた[9]

21歳の時、顧客サービスの仕事に就き、移民労働者と共に働く。同僚の話では「誰にも親切」で「良い同僚」だったという。ただ、中東南アジア出身者に対して苛立ちを見せることも多かった。ウエイトトレーニングに時間を費やすようになり、ステロイド剤を使い始めた。20代前半で顎、鼻、額に整形手術を受けた。徴兵検査の際「軍務に適さない」と判定されたため軍には入隊しなかった。

1999年から2004年まで移民政策に反対的な進歩党新保守主義)党員として所属し[10]、進歩党も生ぬるいと不満を述べていた[11]。2009年にスウェーデン極右のサイトの会員になるが、実世界では一般的なノルウェー人として振る舞い、特別目立つこともなく、反移民、反イスラーム主義の思想を知り合いに漏らすことはなかった。

ブレイビクは2003年から2006年の期間に国際的な複数の会社から偽の学位と卒業証書を販売し、多くの資金を得ており、資金は7カ国の銀行の14の異なる口座に隠していた[12]。ブレイビクの母親はうち3つの口座を自分の名前で開設するように命じられ、資金洗浄に協力していたとされている[13]。ブレイビクには大きな法定収入はなく、合法的な事業による金銭的利益を得ていなかった[9]

2011年7月22日にノルウェー連続テロ事件を起こし77人を殺害した。直後に身柄を拘束され、2012年3月7日にテロ及び殺人容疑で起訴された[14]。同年8月21日、裁判所は禁錮最低10年、最高21年の判決を言い渡した。
思想

ブレイビクはクリスチャン・シオニズムを支持し[15]イスラム教移民多文化主義マルクス主義を憎悪し、移民を受け入れ援助するノルウェーの在り方を否定していた。インターネットで発表した文書内でも移民受け入れの拡大を進める左派を非難していた。動画サイトでは同趣旨の『テンプル騎士団 2083年』という12分の動画も投稿していた。

日本韓国多文化主義に否定的な国家として挙げ、そのような国家を賛美賞賛するなどの行為をインターネット上の投稿で行っていたと報道されている[16]。また、「今、最も会ってみたい人々」としてローマ教皇のベネディクト16世とロシア首相のウラジーミル・プーチンの2人を挙げた。また、「次に会ってみたい人々」として日本国首相の麻生太郎、韓国大統領の李明博、オランダ極右政党・自由党党首のヘルト・ウィルダースボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でイスラム系住民の大量虐殺を指揮したとされるラドヴァン・カラジッチの4人を挙げている[17]
キリスト教との関係


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