アンナ・リー
Anna Lee
1936年7月
本名Joan Boniface Winnifrith
生年月日 (1913-01-02) 1913年1月2日
没年月日 (2004-05-14) 2004年5月14日(91歳没)
出生地 イングランド・ケント州アイタム
受賞
エミー賞
デイタイム 生涯功労賞(2004年)
その他の賞
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アンナ・リー、MBE(Anna Lee, MBE、1913年1月2日 - 2004年5月14日)は[1][2]、「イギリスのボムシェル」と言われた[3]、イギリス・アメリカの女優[4][5]。 アニー・リー、出生名ジョーン・ボニフェス・ウィニフリス(Joan Boniface Winnifrith)は、ケント州アイタム リーはロイヤル・アルバート・ホールのセントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマで訓練を受け[3]、19歳の時に『His Lordship
生い立ち
経歴
イギリス
1934年、当時イギリスで最大の製作会社であったゲインズボロ・ピクチャーズ(英語版)と契約を結び、コメディスリラー『The Camels Are Coming』、ドラマ映画『The Passing of the Third Floor Back』、ホラー映画『The Man Who Changed His Mind』、戦争映画『友情と兵隊(英語版)』など、さまざまなジャンルで主役を演じた。1935年、ジェシー・マシューズ(英語版)のミュージカル『First a Girl』に貴族のプレイガールと他にミラノフ王女として出演。スタジオの大規模予算映画の1つである『キング・ソロモン(英語版)』に出演した[9]。
1933年、エジプトのロケ地で『The Camels are Coming』の撮影中に[10]、最初の夫となる監督のロバート・スティーヴンソンに出会う[3]。1937年、ゴーモン・ブリティッシュ映画社の『ノン・ストップ紐育(英語版)』に主演。1938年、第一子出産のために産休をとった[11]。1939年、リーと夫はゲインズボロのヘッドであったマイケル・バルコン(英語版)が運営するイーリング・スタジオに移籍した。『Young Man's Fancy』(1939年)で貴族と恋に落ちる19世紀アイルランドのミュージックホールの歌姫を演じ、『Young Man's Fancy』(1939年)で主人公がイギリスに対する外敵の陰謀を阻止することを助けるジャーナリストを演じた[4]。
イギリスでの最後の映画は、小さな海辺の町でツアー中に出会ったハリウッドスターに恋をする若いレパートリー・シアターの女優を描いた『Return to Yesterday』であった[12]。夫妻はアメリカ合衆国に移住し、スティーヴンソンはデヴィッド・O・セルズニックと契約を結んだ。彼女は第二次世界大戦中もイギリスの戦争遂行を支援し続け、1943年に他のイギリス人俳優と共に『提督の館』に出演した。これは、イギリスの慈善団体に資金を調達するために作られた映画だった[13]。 ハリウッドに転居後、ジョン・フォードと懇意になり、『わが谷は緑なりき』、『馬上の二人』、『アパッチ砦』などの映画に出演した[14]。『フライング・タイガー』(1942年)ではジョン・ウェイン、ジョン・キャロル
アメリカ合衆国
フリッツ・ラング監督のエンスラポイド作戦を描いた戦時スリラー『死刑執行人もまた死す』(1943年)でブライアン・ドンレヴィ、ウォルター・ブレナンと共演[16]、ヴァル・リュートン製作のホラー・スリラー映画の『恐怖の精神病院(英語版)』(1946年)に出演[17]。1940年代から1950年代にかけて、『Robert Montgomery Presents』、『The Ford Theatre Hour』、『Kraft Television Theatre』、『Armstrong Circle Theatre』、『Wagon Train』などのテレビアンソロジーシリーズに頻繁に出演した。『ペリー・メイスン』のエピソード「The Case of the Unsuitable Uncle」(1962年)にクリスタル・ダーラム役でゲスト出演[18]。
1958年、イギリスに戻りジョン・フォードの『ギデオン』に出演し、警視ジョージ・ギデオンの妻を演じた[19]。1965年、『サウンド・オブ・ミュージック』で車のエンジン部品を取り外してナチスを阻止し、フォン・トラップ家を脱出させた2人の修道女の1人シスター・マーガレッタ役で出演した[20]。