アンナ・リー_(俳優)
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アンナ・リー
Anna Lee
1936年7月
本名Joan Boniface Winnifrith
生年月日 (1913-01-02) 1913年1月2日
没年月日 (2004-05-14) 2004年5月14日(91歳没)
出生地 イングランドケント州アイタム(英語版)
職業女優
活動期間1932年 - 2003年
配偶者ロバート・スティーヴンソン
(m. 1934; div. 1944)
ジョージ・スタフォード
(m. 1944; div. 1964)
ロバート・ネイサン
(m. 1970; d. 1985)
著名な家族ヴェネチア・スティーヴンソン(英語版)(娘)
ジェフリー・バイロン(英語版)(息子)
主な作品
ジェネラル・ホスピタル

 受賞
エミー賞
デイタイム 生涯功労賞(2004年)
その他の賞

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アンナ・リー、MBE(Anna Lee, MBE、1913年1月2日 - 2004年5月14日)は[1][2]、「イギリスのボムシェル」と言われた[3]イギリスアメリカ女優[4][5]
生い立ち

アニー・リー、出生名ジョーン・ボニフェス・ウィニフリス(Joan Boniface Winnifrith)は、ケント州アイタム(英語版)で校長兼聖公会牧師のバートラム・トーマス・ウィニフリスと彼の2番目の妻であるエディス・モード・ディグビー・ローパーの娘として生まれた[1]。父親は女優になりたいという娘の望みをサポートした。祖父のアルフレッド・ウィニフリス牧師はマリアンズリー(英語版)の教区牧師、兄のジョン・ウィニフリス卿(英語版)は、農業省の事務次官になったイギリスの高級官僚であった。またアーサー・コナン・ドイル卿の名づけ子であり、彼の娘のジーン・コナン・ドイル卿(英語版)は生涯の友人だった[6]
経歴
イギリス

リーはロイヤル・アルバート・ホールセントラル・スクール・オブ・スピーチ・アンド・ドラマで訓練を受け[3]、19歳の時に『His Lordship』(1932年)の端役で銀幕デビューを果した[4]。1930年代初頭は、多くの映画でクレジットされない端役を演じていた。リーは衰退しつつあるイギリスの映画産業の梃入れを目的とするイギリス議会の法律である、1927年の映画法(Cinematograph Films Act of 1927)を満たすため、より重要な役を演じるようになっていった[7]。上流社会を描いた映画、特にルイス・ヘイワード(英語版)と主演した『Chelsea Life』(1933年)のミュリエル・マクストン役で知られていた[8]

1934年、当時イギリスで最大の製作会社であったゲインズボロ・ピクチャーズ(英語版)と契約を結び、コメディスリラー『The Camels Are Coming』、ドラマ映画『The Passing of the Third Floor Back』、ホラー映画『The Man Who Changed His Mind』、戦争映画『友情と兵隊(英語版)』など、さまざまなジャンルで主役を演じた。1935年、ジェシー・マシューズ(英語版)のミュージカル『First a Girl』に貴族のプレイガールと他にミラノフ王女として出演。スタジオの大規模予算映画の1つである『キング・ソロモン(英語版)』に出演した[9]

1933年、エジプトのロケ地で『The Camels are Coming』の撮影中に[10]、最初の夫となる監督のロバート・スティーヴンソンに出会う[3]。1937年、ゴーモン・ブリティッシュ映画社の『ノン・ストップ紐育(英語版)』に主演。1938年、第一子出産のために産休をとった[11]。1939年、リーと夫はゲインズボロのヘッドであったマイケル・バルコン(英語版)が運営するイーリング・スタジオに移籍した。『Young Man's Fancy』(1939年)で貴族と恋に落ちる19世紀アイルランドのミュージックホールの歌姫を演じ、『Young Man's Fancy』(1939年)で主人公がイギリスに対する外敵の陰謀を阻止することを助けるジャーナリストを演じた[4]

イギリスでの最後の映画は、小さな海辺の町でツアー中に出会ったハリウッドスターに恋をする若いレパートリー・シアターの女優を描いた『Return to Yesterday』であった[12]。夫妻はアメリカ合衆国に移住し、スティーヴンソンはデヴィッド・O・セルズニックと契約を結んだ。彼女は第二次世界大戦中もイギリスの戦争遂行を支援し続け、1943年に他のイギリス人俳優と共に『提督の館』に出演した。これは、イギリスの慈善団体に資金を調達するために作られた映画だった[13]
アメリカ合衆国

ハリウッドに転居後、ジョン・フォードと懇意になり、『わが谷は緑なりき』、『馬上の二人』、『アパッチ砦』などの映画に出演した[14]。『フライング・タイガー』(1942年)ではジョン・ウェイン、ジョン・キャロル(英語版)と共演した[15]

フリッツ・ラング監督のエンスラポイド作戦を描いた戦時スリラー『死刑執行人もまた死す』(1943年)でブライアン・ドンレヴィウォルター・ブレナンと共演[16]ヴァル・リュートン製作のホラー・スリラー映画の『恐怖の精神病院(英語版)』(1946年)に出演[17]。1940年代から1950年代にかけて、『Robert Montgomery Presents』、『The Ford Theatre Hour』、『Kraft Television Theatre』、『Armstrong Circle Theatre』、『Wagon Train』などのテレビアンソロジーシリーズに頻繁に出演した。『ペリー・メイスン』のエピソード「The Case of the Unsuitable Uncle」(1962年)にクリスタル・ダーラム役でゲスト出演[18]

1958年、イギリスに戻りジョン・フォードの『ギデオン』に出演し、警視ジョージ・ギデオンの妻を演じた[19]。1965年、『サウンド・オブ・ミュージック』で車のエンジン部品を取り外してナチスを阻止し、フォン・トラップ家を脱出させた2人の修道女の1人シスター・マーガレッタ役で出演した[20]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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