アンナ・モッフォ
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル クラシック音楽

アンナ・モッフォ(Anna Moffo、1932年6月27日? - 2006年3月10日)は、アメリカ合衆国出身のソプラノ歌手、テレビ司会者、女優

もっぱら1960年代に欧米で活躍した。全盛期には、美声と美貌ゆえに評価を集め、「La Bellissima(The Beautiful)」というニックネームで呼ばれた。生年については、1930年誕生説と1932年誕生説があり、確定していない。

アンナ・モッフォ
1962年
生誕 (1932-06-27) 1932年6月27日
アメリカ合衆国, ペンシルバニア州
死没2006年3月9日(2006-03-09)(73歳没)
アメリカ合衆国, ニューヨーク市
職業オペラ歌手、テレビ司会者、女優
活動期間1956年?1974年
テンプレートを表示

来歴

ペンシルベニア州ウェイン出身。

ラドナー高等学校を卒業後、映画撮影のためにハリウッドから声がかかるほどだったが、修道女になることを目指していたためその申し出を断わった。しかしながら奨学金を得て、フィラデルフィアカーティス音楽学校に進学する。1955年フルブライト奨学金を獲得してローマ聖チェチーリア音楽院に留学。
音楽活動

同年スポレトにおいて、ドニゼッティの《ドン・パスクワーレ》のノリーナ役でデビューを果たす。翌年には、未来の夫マリオ・ランフランキ(RCAビクターおよびRAIのプロデューサー)の演出により、プッチーニの《蝶々夫人》にてテレビ出演を果たす。

1957年に母国で凱旋デビュー(シカゴ・リリック・オペラ座にてプッチーニの《ラ・ボエーム》のミミ役)。この年、スカラ座にもデビューし、ザルツブルク音楽祭においてカラヤンの指揮により、ヴェルディの《ファルスタッフ》にも出演。これがウィーン国立歌劇場との初共演となった。また同年は、12月8日に演出家のマリオ・ランフランキと結婚。1970年代までウィーンで歌手活動を続け、《リゴレット》のジルダ役、マスネの《マノン》のタイトルロール、グノーの《ファウスト》のマルグリート役、ビゼーの《カルメン》のミカエラ役、《椿姫》のヴィオレッタ役を十八番とした。

この間アメリカでは、1960年から1961年にかけてニューヨークメトロポリタン歌劇場に出演し、《リゴレット》のジルダ役、《愛の妙薬》のアディーナ役、プッチーニの《トゥーランドット》のリュー役をつとめ、ビルギット・ニルソンフランコ・コレッリとも共演した。また、オペラと関係ない映画《ローマのしのび逢い》にも主演するなど、完全に女優として通用する活躍ぶりであった。

1972年にランフランキと離婚し、1974年11月14日にRCAの取締役会長ロバート・サーノフと再婚。1970年代には、ヴェルディの《イル・トロヴァトーレ》のレオノーラ役や、《スティッフェーリオ》のリーナ役など、より激しい役柄をこなした。

モッフォは両親ともイタリア系でネイティブなイタリア語を話すこともあり、とりわけイタリアで人気があった。1960年から1973年まで同地のテレビ番組でメイン司会者を務め、またイタリアで最も美しい女性の10人に選ばれたこともある。母国ではオペラファンに礼賛され、作家のウェイン・コステンボーム(Wayne Koestenbaum)は、一冊の本になるほどの長大な頌詩『アンナ・モッフォへのオード』を物している。

酷使が祟ったためか、1960年代後半からは高音の衰えが目立つようになり、カルメンなどのメゾソプラノ役にも新境地を示したものの、ソプラノ歌手としてもやや早すぎる40代半ばで活動をほぼ停止した。

ドイツオペラはモーツァルトを除くと必ずしもメインのレパートリーではなかったが、活動最末期の70年代前半にはドイツでのレコーディングや撮影が多かった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:17 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef