『アンナ・ボレーナ』(Anna Bolena)は、ガエターノ・ドニゼッティが作曲し、1830年にミラノ、カルカノ劇場で初演された2幕のトラジェディア・リリカである。16世紀のイングランド国王ヘンリー8世とその2番目の妃アン・ブーリン並びに3番目の妃ジェーン・シーモアの史実に基づく作品である。
原作:イッポリト・ピンデモンテの小説『エンリーコ8世、またはアンナ・ボレーナ(Enrico VIII ossia Anna Bolena )』及びアレサンドロ・ペーポリ『アンナ・ボレーナ』
台本:フェリーチェ・ロマーニ
「ドニゼッティ女王三部作」(英語:the Three Donizetti Queens)と呼ばれる、テューダー朝とその女性たちを主役としたオペラ(1830年の本作品、1835年の『マリーア・ストゥアルダ』、1837年の『ロベルト・デヴリュー』)の1つである。 役柄及び初演のキャストは、以下の表の通りである。アンナを演じるジュディッタ・パスタ 役柄[1]声種初演のキャスト
役柄及び上演史
イングランド王妃アンナ・ボレーナ (アン・ブーリン)ソプラノジュディッタ・パスタ
イングランド国王エンリーコ8世 (ヘンリー8世)バスフィリッポ・ガッリ
ジョヴァンナ・セイモー (ジェーン・シーモア), アンナの女官メゾソプラノエリザ・オルランディ
ロシュフォール卿 (ジョージ・ブーリン), アンナの弟[2]バスロレンツォ・ビオンディ
リッカルド・ペルシー卿 (ヘンリー・パーシー)テノールジョヴァンニ・バティスタ=ルビーニ
スメトン (マーク・スミートン), 王妃の楽士コントラルトヘンリエッテ・ラロシュ
エルヴェイ, 国王の武官テノールアントニオ・クリッパ
宮廷人たち, 兵士たち, 猟師たち
1830年12月26日の初演は、「圧倒的な成功」であった。ドニゼッティの師であるヨハン・ジモン・マイールは、かつての弟子を「マエストロ」と呼ぶようになった[3]。また、イタリア・オペラ界においてもドニゼッティは一躍ロッシーニやベッリーニと並ぶ「イタリアオペラ界における最も輝ける名前」となった[3]。
初演から19世紀後半にかけての状況
1830年のイタリア初演の後、本作は1831年7月8日にロンドンの王立劇場でイギリス初演され、1839年11月12日にはニューオーリンズのテアトル・ドルレアンにおいてアメリカ初演が行われている。アメリカ初演に際しては、フランス語で上演されている。1850年からヴェリズモが台頭する1881年まで、25都市で上演がされ、人気を博した[4]。しかし1881年以降、上演は稀になっていった。
1950年代まで
20世紀前半にはほとんど上演されなかった本作が頻繁に上演されるようになったのは、第二次世界大戦後のことである。1947年12月30日にバルセロナのリセウ大劇場の開場100周年を記念して上演された(同劇場は、1847年に本作品で開場している)。アンナはサラ・スクデッリ、セイモーをジュリエッタ・シミオナート、エンリーコ8世はチェーザレ・シエピというキャストであった。1957年4月にはスカラ座初演が行われ、アンナをマリア・カラスが演じている。この上演は、ルキノ・ヴィスコンティの演出の元で行われた。この上演に関して、カラスの伝記を記したユルゲン・ケスティングは、「この公演は、マリア・カラスのキャリアにおいてもひとつの頂点となっている。」[5]と述べている。なお、この上演は録音が残されている(後述)。1959年6月26日には米国のサンタフェ・オペラにおいて、「ほぼ1世紀以上ぶりとなる全曲ノーカット上演」[6]が行われた。
1960年代以降
1960年代以降の上演に関しては、「ドニゼッティ・ルネサンス」と称されるドニゼッティ再評価運動において上演が増加したことが特筆される。レイラ・ジェンチェル、モンセラート・カバリェ、マリサ・ガラヴァニー、レナータ・スコット、エディタ・グルベローヴァ、マリエラ・デヴィーアなどが、本作品の上演ないし録音に貢献している。