アンナ・カリーナ
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アンナ・カリーナ
Anna Karina
アムステルダム・スキポール空港にて
(1968年2月)
本名Hanne Karin Blarke Bayer
生年月日 (1940-09-22) 1940年9月22日
没年月日 (2019-12-14) 2019年12月14日(79歳没)
出生地 デンマークコペンハーゲン
死没地 フランスパリ
国籍 デンマーク
フランス
職業女優
ジャンル映画
配偶者ジャン=リュック・ゴダール (1961?1964)
Pierre Fabre (1968?1974)
ダニエル・デュヴァル (1978?1981)
Dennis Berry (1982?)
主な作品
女は女である』(1961年)
女と男のいる舗道』(1962年)
はなればなれに』(1964年)
気狂いピエロ』(1965年)
修道女』(1966年)

 受賞
ベルリン国際映画祭
銀熊賞(女優賞)
1961年女は女である
その他の賞

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アンナ・カリーナ(Anna Karina、本名:Hanne Karen Blarke Bayer、1940年9月22日 - 2019年12月14日[1])は、デンマークコペンハーゲン出身のフランス女優ヌーヴェルヴァーグ時代に活躍。
来歴・人物

1940年9月22日、デンマーク・コペンハーゲンに生まれる。母は洋裁店を営み、父親は船員であったが、カリーナが生まれて1年後に家族を捨ててしまう。そのため4歳になるまで祖父母に育てられ、その後4年間は里親の元で育つ。その後母親と暮らすようになるが、頻繁に家出をしていたという[2]デンマークではキャバレーで歌ったりモデルなどをするようになる。14歳の時にデンマークの短編映画に出演しているが、その作品はカンヌ国際映画祭で賞を獲得している[3]。17歳の時にフランス・パリに移る。パリに付いた当時はフランス語を話すことが出来なかったが、スカウトされてモデルとして活躍する。「アンナ・カリーナ」という芸名は当時出会ったココ・シャネルが授けた[4]

1960年ジャン=リュック・ゴダール監督の作品『小さな兵隊』の主演に抜擢される[1]

1961年3月3日、ゴダールと結婚 [5] 。同年、『女は女である』で、ベルリン国際映画祭女優賞を受賞[1]

1963年2月6日から3月5日にかけて、ジャック・リヴェットの舞台劇『修道女』で主役を務めた(同作の映画版でも主演)。

1964年、ゴダールと共同で映画製作会社「アヌーシュカ・フィルム」を設立した[1]。第1回作品は『はなればなれに』(1964年)。同年12月、ゴダールと離婚[6][7]。その後4度の結婚歴がある。

1970年代後半にはライナー・ヴェルナー・ファスビンダー作品の常連だったドイツ人俳優兼映画監督ウリ・ロンメルと交際し、共に映画製作を行っている。

2017年にはカリーナの人生を描いたドキュメンタリー『アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい(Anna Karina : souviens-toi)』(デニス・ベリー(フランス語版)監督)が製作された。日本では2020年に劇場公開されている[8]

2019年12月14日、癌のためパリで死去。79歳没[1]
ギャラリー

女は女である』(1961年)

女と男のいる舗道』(1962年)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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