アンドロマケー(古希: ?νδρομ?χη, Andromach?)は、ギリシア神話の女性である。長音を省略してアンドロマケとも表記される。名前の意味は「男の戦い」で、ανδρο? が「男の」、μαχη が「戦い」を表す ⇒[1]。
トローアス地方の都市テーベーの王エーエティオーンの娘で、トロイアー王プリアモスの子ヘクトールと結婚し、アステュアナクスを生んだ[1][2][3]。2人の間にはさらにラーオダマースという子供がいたとする説もある[4][5]。またアキレウスの子ネオプトレモスとの間に、モロッソス[6][7]、ピエロス、ペルガモス[7]、あるいはアンピアロスを[8]、ヘクトールの兄弟で予言者のヘレノスとの間にケストリーノスを生んだ[7]。
トロイア戦争によって、親兄弟をはじめ、夫ヘクトールと幼い息子アステュアナクスを殺され、仇であるアキレウスの息子ネオプトレモスに隷属する運命ゆえに、ホメーロス以来、悲運の女として知られる[9][10][11]。
神話
結婚アンドロマケーとヘクトール、アステュアナクスを描いたアプーリア赤絵式円柱型クラテール。前370年から前360年頃。ヤッタ国立考古学博物館(イタリア語版)所蔵。ジョン・フラックスマンが描いたアンドロマケー(1793年)。アンドロマケーはアキレウスがヘクトールの遺体を戦車につなぎ、曳きまわす光景を見て気絶する。
ホメーロスの叙事詩『イーリアス』によると、アンドロマケーは父エーエティオーンが支配していたプラコス山麓の都市テーベーで生まれ育ち、成長すると多くの嫁資を携えてヘクトールと結婚した[1][注釈 1]。ヘクトールは莫大な結納をエーエティオーンに納め、アンドロマケーとともにトロイアーに帰還した。またその際に女神アプロディーテーは2人を祝福し、アンドロマケーにヴェールを贈った[9]。アンドロマケーは『イーリアス』以来、貞淑な妻として描かれている。『イーリアス』では妻として館で働く女たちをよくまとめ、機織りと糸紡ぎに励み[13]、またヘクトールの4頭の軍馬クサントス、ポダルゴス、アイトーン、ラムポスの世話を熱心に行ったと語られている[14]。 『イーリアス』の物語が始まったとき、アンドロマケーの両親と7人いた兄弟はすでに他界していた。父エーエティオーンはギリシア軍を率いるアキレウスとの戦いで殺された。アキレウスは都市を徹底的に破壊したが、エーエティオーンに対しては甲冑を剥ぎ取ることはせず、甲冑をまとったまま遺体を火葬し、墓を築いた。ゼウスの娘である山のニュムペーたちはニレの木を墓の周りに植えたという。アンドロマケーの兄弟たちは家畜の世話をしているところを、やはりアキレウスに殺された。彼女の母はアキレウスの捕虜となり、莫大な身代金と引き換えに解放されたが、王宮でアルテミスの矢に射られて世を去った[1][注釈 2]。 アンドロマケーは『イーリアス』の初日の戦いでトロイアー軍が苦戦していることを聞くと、アステュアナクスを抱いた乳母を連れて、城壁の櫓から戦場を見つめ、ヘクトールが無事に帰還した後も立ったまま泣いていた[1]。ヘクトールは館に帰ると、アンドロマケーが城壁に向かったことを聞き、スカイア門に引き返した。城壁から降りてきたアンドロマケーは夫の姿を発見すると、駆け寄って不安をぶつけている。「あなたはひどい人です。その勇気が命取りになるかも知れないというのに、幼い我が子のことも、あなたに先立たれて独り身になるかもしれない私のことも憐れんでは下さらない。もしもあなたを失うことになったら、墓に入った方がましです。私は悲しみばかりで生きる喜びはないのです」。そして故郷の家族を亡くしている彼女はヘクトールを頼もしい夫としてだけではなく、父や母、兄として慕っていると言い、自分を寡婦にすることがないようにと乞い願った[1]。不安がるアンドロマケーであったが、ヘクトールに励まされ、ぽろぽろと涙をこぼしながら夫とともに館に帰った[16]。 しかし後にアンドロマケーの不安は的中する。パトロクロスの戦死後、戦列に復帰したアキレウスはヘクトールを討つと、遺体を戦車につなで走らせ、大地の上を曳いて回った[17]。このときアンドロマケーは夫の戦死とアキレウスのむごい仕打ちを知らず、館の中で機織りをしていた。しかし城壁の方から悲しむ声が聞こえてくると、彼女はプリアモスの息子の誰かに不幸があったに違いないと考え[13]、急いで城壁に登って周囲を見渡した。するとヘクトールが戦車で城壁の周囲を曳き回されたのちに、ギリシアの陣営まで曳き摺って行かれるのを目撃した。アンドロマケーはひどく取り乱し、髪をまとめていた装身具やアプロディーテーから贈られたヴェールを投げ捨てながら、気絶して倒れ込んだ[9]。 その後、プリアモスは密かにアキレウスの陣営に赴き、ヘクトールの遺体の返還を求めた[18]。クレータのディクテュスによると、アンドロマケーは2人の息子アステュアナクスとラーオダマース、およびポリュクセネーとともにプリアモスに同行し[19]、息子たちをアキレウスの前に平伏させ、遺体に一目会わせてほしいと懇願した[20]。ヘクトールの遺体が返還されると、アンドロマケーはヘクトールの頭を抱き締め、涙を流しながら別れの言葉をかけた[21]。そののち火葬が行われ、遺骨が埋葬された[22]。 トロイア戦争がギリシアの勝利で終結すると、アンドロマケーは王族の他の女たちと同様に奴隷の身となったのち、褒美としてアキレウスの子ネオプトレモスに与えられた[23][24][25]。また幼い息子のアステュアナクスは、後顧の憂いを絶つため城壁の上から投げ落とされて死んだ[23][26][27]。
トロイア戦争
トロイア戦争後フレデリック・レイトンの1886年頃の絵画『捕らわれのアンドロマケ』。マンチェスター市立美術館所蔵。