アンドロノヴォ文化(アンドロノヴォぶんか、Andronovo culture)とは、紀元前2300年から1000年頃の青銅器時代に、中央アジアステップ地帯からシベリア南部の広い範囲に見られた、類似する複数の文化をまとめた名称である。単一の文化ではなく、文化複合または考古学的ホライズン(英語版)と呼ぶ方が適切である。インド・イラン語派の言語を話すアーリア人との関係が有力視されるが、インド・イラン方面の古文化と直接結び付かないとする批判もある。
アンドロノヴォは1914年に墳墓の発掘調査が行われ、屈葬された人骨や装飾土器が発見されたエニセイ川流域に属するアチンスク付近の村の名である。目次 時代的・地域的に少なくとも4つの文化に細分される。カスピ海・アラル海北側の南ウラル地域から始まり、東および南に拡大したとされる。 地理的には非常に広大な範囲に及ぶ。西端ではヴォルガ・ウラル方面の同時期のスルブナヤ文化
1 時代区分
2 インド・イラン民族との関係
3 その後
4 脚注
5 外部リンク
6 文献
7 関連項目
時代区分
シンタシュタ文化(Sintashta-Petrovka-Arkaim):ウラル南部、カザフスタン北部、紀元前2200-1600年頃。チェリャビンスク州シンタシュタ遺跡は紀元前1800年頃、近くのアルカイム遺跡は紀元前17世紀とされる。
アラクル(Alakul)文化:アムダリヤ・シルダリヤ両川間のキジルクム砂漠、紀元前2100-1400年頃。
アレクセーエフカ(Alekseyevka)文化:カザフスタン東部、紀元前1300-1000年頃の青銅器時代末。トルクメニスタンのナマズガ(Namazga)VI期(バクトリア・マルギアナ複合に含まれる)と接触した。
フョードロヴォ(Fedorovo)文化:紀元前1500-1200年頃、シベリア南部。火葬と拝火の証拠が見られる最初期の例。
ベシケント・ヴァクシュ(Beshkent-Vakhsh)文化:紀元前1000-800年頃、タジキスタン。
紀元前2千年紀初めから半ばにかけてアンドロノヴォ文化は東への急速な拡大を見せた。アルタイ山脈では銅山が採掘された。埋葬には石棺または石囲いが用いられ、さらに木槨で囲まれた。生活様式は馬、牛、羊などの牧畜が中心で、農耕も行われた。 アンドロノヴォ文化の分布地域はインド・イラン語派の発祥地と目される地域に重なり、またこの地域のなかにあるシンタシュタ・ペトロフカ・アルカイム文化で紀元前2000年頃にスポーク型車輪のついたチャリオット[2]を発明したとも考えられているため、この語派との関係が有力視されてきた。
インド・イラン民族との関係