アンドレ・ロッテラー
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アンドレ・ロッテラー
Andre Lotterer
ポルシェに所属するロッテラー (2022年)
基本情報
略称表記LOT
国籍 ドイツ
出身地 西ドイツ
同・デュースブルク
生年月日 (1981-11-19) 1981年11月19日(42歳)
F1での経歴
活動時期2014
所属チーム'14 ケータハム
車番45
出走回数1
タイトル0
優勝回数0
表彰台(3位以内)回数0
通算獲得ポイント0
ポールポジション0
ファステストラップ0
初戦2014年ベルギーGP
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アンドレ・ロッテラー(Andre Lotterer, 1981年11月19日 - )はドイツレーシングドライバーデュースブルク出身[1]
プロフィール

16歳で4輪レースデビュー。1998年にドイツ BMW/ADAC フォーミュラジュニア チャンピオン、1999年にドイツ BMW/ADAC フォーミュラ チャンピオンをそれぞれ獲得した。2000年よりドイツF3に参戦。同年よりジャガーF1テストドライバーを務め、2002年にはリザーブドライバーとなった。しかし、ジャガーがレース活動を縮小したため、テスト兼リザーブドライバーの仕事を失った。なお途中の2001年シーズンはイギリスF3選手権に参戦し、翌2002年はチャンプカーシリーズの最終戦にスポット参戦している。

2003年に来日。以後2005年まで中嶋悟率いるNAKAJIMA RACINGから、全日本GT選手権SUPER GTフォーミュラ・ニッポンに参戦した。フォーミュラ・ニッポンでは、2003年の開幕戦においていきなり2位表彰台を獲得し、能力の高さを発揮した。当該年度は優勝こそ逃したもののシリーズ4位と好成績を残した。初勝利は翌2004年の第3戦もてぎラウンド、第7戦のセパンラウンドでも勝利しシリーズ2位と躍進した。2005年も2勝しており、シリーズチャンピオン争いの常連となっている。全日本GT選手権には、2003年の第4戦富士ラウンドから小暮卓史に変わって松田次生のパートナーとして参戦している。初勝利は2004年の第5戦のもてぎラウンド。GTにおいては手堅いドライビングを行い安定感を見せていたが、成績面では今ひとつ目立たなかった。

2006年はフォーミュラ・ニッポン・SUPER GTともに、トヨタ陣営であるトムスに移籍した。フォーミュラ・ニッポンでは、このカテゴリーに初挑戦であったトムスからのエントリーにもかかわらず2勝し、フォーミュラにおける能力の高さを周囲に再認識させた。SUPER GTでは脇阪寿一とコンビを組んで参戦、開幕戦で優勝を飾った。その後、優勝こそなかったものの全戦でポイントを挙げるなど安定した成績を収め、トヨタ・SC430のデビューイヤーをドライバーズ/チーム両シリーズチャンピオンで飾った。またロッテラー自身にとっても日本での初タイトルの獲得であった。2007年以降も前年に引き続き同じ体制で両シリーズに参戦し、2008年はチームタイトルを翌2009年は再びドライバーズ/チーム両シリーズチャンピオンを獲得した。2010年は最終戦までチャンピオンを争うも連覇はならなかった。

2009年のル・マン24時間レースでもアウディ・R10 TDIに乗りベストタイムを出すなど、雨天を中心とした悪い場面での高いポテンシャルが光るものの、そのアグレッシブなドライビングスタイルのため、他車との接触も多かった。翌2010年にはアウディワークスの起用が発表され、チームメイトであるブノワ・トレルイエとともに活躍し、総合2位を獲得した。そして2011年のル・マン24時間レースではブノワ・トレルイエマルセル・フェスラーとともにチーム・ヨーストから参戦し総合優勝を果たした。またフォーミュラ・ニッポンでは開催された6戦7レース(第5戦が中止となったため)中、ル・マン24時間参戦のために欠場した第2戦を除く5戦6レースに出場、その中で5勝、残る1レースも2位という圧倒的な強さで念願のシリーズチャンピオンを獲得した。

2012年のル・マン24時間レースにも前年と同じメンバーで連覇するとともに、2012年より始まったFIA 世界耐久選手権(WEC)の初代チャンピオンも獲得した。

2013年以降も引き続きトヨタでフォーミュラ・ニッポンより引き継いだスーパーフォーミュラおよびアウディよりWECに参戦。ともに総合ランキング2位だった。

2014年のル・マン24時間レースではマルセル・フェスラー、ブノワ・トレルイエで戦い、自身3度目の優勝を飾った。

F1の第12戦ベルギーGP小林可夢偉に代わりケータハムF1チームから参戦[2]し、F1デビューを果たした。ル・マン優勝者のデビューで注目を集め、雨の予選でチームメイトのマーカス・エリクソンを破ったものの、決勝レースはトラブルで2周でリタイアとなった。F1と日程がバッティングしたスーパーフォーミュラ第4戦は欠場した(代役はアンドレア・カルダレッリ)。

2017年は前年末を持ってアウディがWECからの撤退を受け、新たにポルシェへ移籍することに。また2016年末には一時参戦を見直す可能性があったスーパーフォーミュラに関しても、無事トムスから継続参戦することとなった。WECではチームオーダーもあり優勝することは叶わなかったが、SFでは岡山第一レースで優勝した。また12月に始まるフォーミュラE第4シーズンにもテチーターから参戦する。

2018年はポルシェの撤退に伴い、WECではレベリオン・レーシングに移籍。またフォーミュラEとWECの日程の都合上、スーパーフォーミュラへの継続参戦が困難となったため、トムスとの契約を終了し日本から姿を消すことになった[3]

2019年フォーミュラEにフル参戦している。
エピソード

父のヘンリ・ロッテラーは
ペルーボリビア出身[4]。学校を卒業した後にドイツに渡ってメルセデス・ベンツの技師となり、シュツットガルトベルギー出身の母に出会った[5]

2歳のときに父がレーシングチームのマネージャーをするためにベルギーに引っ越し、その影響でロッテラーは幼少よりカートを始めた。父はボルボツーリングカーチームのチームマネージャー兼エンジニアを務め、1985年富士インターTECボルボが優勝した時も来日していた。またアンドレ自身もカート時代に日本でレースをしたことがある。父は2009年秋に他界しており、直後に行われたSUPER GTの最終戦ではチーム全員が喪章を付け参戦した。

ベルギーとの二重国籍も可能だったが、ドイツ国籍を選んだ。英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語など多言語に通じている。

トヨタがFIA 世界耐久選手権(WEC)に参加していない頃からアウディワークスの一員としてル・マン24時間レースに参戦しているが、「もしあの頃からトヨタが参戦していたらと思う時がある」と語った。ただ一方で祖国ドイツのメーカーへの憧れも強く、アウディ撤退後のWECではポルシェから参戦している。

フォーミュラ・ニッポン/スーパーフォーミュラに2003年から2017年まで15年間にわたり参戦し続けた。以下の発言から並々ならぬ思い入れがあったことが窺える。

F1参戦後に「スーパーフォーミュラが世界一純粋なレースだ」[6]

「ただ、好きなだけだよ。フォーミュラカーでレースをするのが好きだし、もしこのレースをやめたら、僕の“本当のスピリット”がどこかへ行ってしまうような気がするんだ」[7]

参戦終了を発表の際に「物凄いレースだったし、鈴鹿のS字のような場所であのようなクルマを走らせることに並ぶものはなかった」[8]など。


日本デビュー年前半のインタビューでは、「Fニッポンではドライバーが優秀かどうかで採用が決まるのに対し、ヨーロッパのF3000ではスポンサー持ち込みが多い」とも発言している[5]

スーパーフォーミュラから離れた後も日本でのフォーミュラE開催を熱望したり「日本でのレースを続けたかったけど、スケジュールの都合で諦めることにした」と発言するなど、今も日本のレースへの思い入れが強いことが窺える[9]

義理堅い面があり、以下のようなエピソードがある。

2011年のル・マン24時間レースでは、同年3月11日に発生した東日本大震災で被災した日本にエールを送るため、ブノワ・トレルイエと共にJAF発行のライセンスを用いてレースにエントリーした。このため、国際映像で紹介される際の字幕は、国籍地のドイツ国旗ではなく日章旗と共に名前が表示された。尚、本人たちは震災の発生前から、キャリアの大半を過ごした日本への感謝を込めて、JAFのライセンスで登録するつもりであったとも語っている。[10]

上記レースで優勝ドライバーに贈呈される刻印入り腕時計ロレックス・デイトナを、日本でのキャリアを支えた感謝として脇阪寿一に「(寿一の)腕時計が気になったから菅生のレースまで自分の腕時計と交換してくれ」と嘯き二か月預けている。[11]

FIA 世界耐久選手権参戦開始の2012年からは、ヘルメットデザインに日本の要素を加えている。頭頂部には日の丸(2015年のみ黒地に赤丸)と漢字で"希望"[12]、側面には漢字で"狩人"とカタカナで"タウラア、モ ヒロナナモア、モア、"(カリグラフィーにより"AnDRE LOTTERER"に読めるようデザインされている)の文字が入っている。このデザインは「日本のために何かしたかった」とロッテラーが希望して生まれたもので、変更当時のチームメイトであり多少の日本語を解するトレルイエからは「ヒロナナモアモアって名前になったんだよ」と冗談を言われている。[13]


来日10年以上で、ピットリポーターの翻訳のミスを指摘するジェスチャーをするなど日本語をかなり理解している様子だが、基本的には正確な意思疎通のため通訳を通している。

『スーパーフォーミュラGO ON』に登場したトムス監督の舘信秀曰く「カラオケ一緒に行くんだが音痴なんだなこれが。歌じゃなくて詩を読んでいるような感じ」。

フォーミュラEでも、日本時代に長年着け続けたカーナンバー『36』を着けている。

レース戦績

1998年 - BMW/ADACフォーミュラジュニア(シリーズチャンピオン)

1999年 - BMW/ADACフォーミュラ(シリーズチャンピオン)

2000年 - ドイツF3選手権(シリーズ4位)

2001年

イギリスF3選手権(シリーズ7位)

F1ジャガーチームテストドライバー


2002年

F1ジャガーチームテストドライバー&リザーブドライバー

スパフランコルシャン24時間(3位)

チャンプカー(シリーズ22位)


2003年

全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(PIAA NAKAJIMA RACING #2/
ローラB351 MF308)(シリーズ4位)

全日本GT選手権・GT500クラス<Rd.4-10>(Mobil 1 NAKAJMA RACING #64 Mobil 1 NSX/HONDA NA2 C32B)(シリーズ16位)


2004年

全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(PIAA NAKAJIMA RACING #2/ローラB351 MF308)(シリーズ2位・2勝)

全日本GT選手権・GT500クラス(EPSON NAKAJMA RACING #64 EPSON NSX/HONDA NA2 C30A)(シリーズ8位・1勝)


2005年

全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(PIAA NAKAJIMA RACING #2/ローラB351 MF308)(シリーズ4位・2勝)

SUPER GT・GT500クラス(EPSON NAKAJMA RACING #64 EPSON NSX/HONDA NA2 C32B)(シリーズ9位)


2006年

全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(DHG TOM'S RACING #5/ローラB06/51 RV8J)(シリーズ3位・2勝)

SUPER GT・GT500クラス(TOYOTA TEAM TOM'S #36 OPENINTERFACE TOM'S SC430/LEXUS SC430 UZZ40 3UZ-FE)(シリーズチャンピオン・1勝)


2007年

全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(DHG TOM'S RACING #36/ローラB06/51 RV8J)(シリーズ5位)

SUPER GT・GT500クラス(TOYOTA TEAM TOM'S #1 宝山 TOM'S SC430/LEXUS SC43U ZZ40 3UZ-FE)(シリーズ6位)


2008年

全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(PETRONAS TEAM TOM'S #36/ローラB06/51 RV8J)(シリーズ3位)

SUPER GT・GT500クラス(PETRONAS TOYOTA TEAM TOM'S #36 PETRONAS TOM'S SC430/LEXUS 430 UZZ40 3UZ-FE)(シリーズ3位)


2008年-09年 - A1グランプリ(ドイツチーム)

2009年

全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(PETRONAS TEAM TOM'S #36/スウィフト017.n RV8K)(シリーズ3位・1勝)

SUPER GT・GT500クラス(LEXUS TEAM PETRONAS TOM'S #36 PETRONAS TOM'S SC430/LEXUS SC430 UZZ40 RV8KG)(シリーズチャンピオン・1勝)

ル・マン24時間レース(チーム・コレス #14/アウディ・R10 TDI)(総合7位)


2010年

全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(PETRONAS TEAM TOM'S #36/スウィフト017.n RV8K)(シリーズ2位・1勝)

SUPER GT・GT500クラス(LEXUS TEAM PETRONAS TOM'S #1 PETRONAS TOM'S SC430/LEXUS SC430 UZZ40 RV8KG)(シリーズ2位・1勝)

ル・マン24時間レース (アウディスポーツ・チーム・ヨースト #8/アウディ・R15 TDI plus)(総合2位)


2011年

ル・マン24時間レース (アウディスポーツ・チーム・ヨースト #2/アウディ・R18 TDI)(総合優勝)

全日本選手権フォーミュラ・ニッポン (TEAM TOMS #36) (シリーズチャンピオン・5勝)


2012年

ル・マン24時間レース (アウディスポーツ・チーム・ヨースト #1/アウディ・R18 e-tronクアトロ)(総合優勝)

FIA 世界耐久選手権 (同上) (ドライバーズチャンピオン)

全日本選手権フォーミュラ・ニッポン (PETRONAS TEAM TOMS #36/スウィフト・017.n) (シリーズ4位・2勝)


2013年

ル・マン24時間レース (アウディスポーツ・チーム・ヨースト #1/アウディ・R18 e-tronクアトロ)(総合5位)

FIA 世界耐久選手権 (同上) (シリーズ2位・3勝)

全日本選手権スーパーフォーミュラ (PETRONAS TEAM TOMS #36/スウィフト・017.n) (シリーズ2位・2勝)


2014年

FIA 世界耐久選手権(アウディスポーツ・チーム・ヨースト #2/アウディ・R18 e-tronクアトロ)(シリーズ2位・2勝)

ル・マン24時間レース(同上) (総合優勝)

全日本選手権スーパーフォーミュラ (PETRONAS TEAM TOMS #36/ダラーラ・SF14) (シリーズ3位・2勝)


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