アンドレ・ベルト
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アンドレ・ベルトアンドレ・ベルト(2010年)
基本情報
本名アンドレ・マイケル・ベルト
(Andre Michael Berto)
通称The Beast
階級ウェルター級
身長174cm
国籍 アメリカ合衆国
ハイチ
誕生日 (1983-09-07) 1983年9月7日(40歳)
出身地フロリダ州ウィンターヘイブン
スタイルオーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数38
勝ち32
KO勝ち24
敗け6
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獲得メダル
アメリカ合衆国
男子 ボクシング
世界ボクシング選手権
2003 バンコクウェルター級

アンドレ・ベルト(Andre Berto、1983年9月7日 - )は、アメリカ合衆国プロボクサーフロリダ州ウィンターヘイブン出身。元WBC世界ウェルター級王者。元IBF世界ウェルター級王者。元WBA世界ウェルター級暫定王者

両親はハイチからの移民[1]。父親は総合格闘家プロレスラーデュセル・バットであり、同い年の兄エドソン・ベルトと妹レヴィナ・ベルトはプロの総合格闘家。
人物

趣味は、ケーブルテレビのフード・ネットワークを見ながら友人に電話をしたりメールを送ること
[2]

試合当日は、ココアバターを体に塗って、戦闘映画を見て闘争心を高める習慣がある[2]

来歴
幼少期

1983年9月7日に、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミに、父親デュセルの元で生まれる。いじめられていたことから10歳のときに父親にポリス・アスレチクリーグ・ジムに入門させられる[2][3]。このジムに入門したことで、全米警察運動連盟の主催するボクシングの大会に出場することになる。父親は非常に頑固で厳格な人物であり、反抗すると腕立て伏せ500回を命じるほどだった[2]。また、ロードワークにも必ず車で同行していた[2]。10代後半の頃から、生計を立てるため、地元のウィンターヘブンにある「14Kジュエリー・アウトレット」という宝石店に勤め始める。その後8年間勤務し、辞める頃には店長にまでなっていた[2]
アマチュア時代

2001年、全米選手権にライトミドル級(71kg)で出場するが2回戦で敗退する[4]ナショナル・ゴールデン・グローブライトミドル級(71kg)で出場し優勝した[5]

2002年、全米選手権にライトミドル級(71kg)で出場し決勝で敗退する[6]。ナショナル・ゴールデン・グローブにライトミドル級(71kg)で出場するが準々決勝で敗退した[7]。この階級は今大会をもって廃止された。

2003年、全米選手権にウェルター級(69kg)で出場、準決勝でティモシー・ブラッドリーから勝利するも決勝で敗退した[8]。ナショナル・ゴールデン・グローブにウェルター級(69kg)で出場し、決勝でティモシー・ブラッドリーを破り優勝を果たした[9]。同年、タイのバンコクで開催された2003年世界ボクシング選手権大会にウェルター級(69kg)出場。準々決勝でダレン・バーカーを破るが、準決勝でロレンソ・アラゴン(キューバ)に判定負けを喫し、銅メダルを獲得した[10]。勝ったアラゴンはこの大会で優勝した。

2004年アテネオリンピックには両親の生まれたハイチ代表としてウェルター級(69kg)に出場したが、1回戦で判定負けした[11]。最終的にアマチュア戦績は200戦を越えた。
プロボクサー時代

2004年12月4日、プロデビュー。本人によれば、神経の集中の持続が妨げられるため、スウィング・バウトが嫌いだったという。試合はベルトが相手を3回TKOで沈め勝利した。

2005年5月6日、アメリカ合衆国コネチカット州マシャンタケットフォックスウッズ・リゾート・カジノでティム・ヒムス(アメリカ)と対戦、初回わずか130秒で相手を倒し5勝目となった。

2006年には7試合行い全てKO勝利を挙げた実績が評価されESPNから新鋭賞が授与された。また2007年5月19日の試合で勝利した事で14連続KOをマークした。

2007年7月27日、コスモ・リベラ(メキシコ)とウェルター級10回戦で対戦。6回にダウンを奪われるが、それ以外は試合を完全にコントロールし判定決着となったが、3-0の大差の判定で相手を下し危なげない勝利を収めた。自身の連続KO記録は14でストップした。本人によれば、この試合が一番危なかったらしい[2]

着実にキャリアアップしていき地域タイトル挑戦前の戦績は19戦19勝(16KO)。KO率84%をマーク。

2007年9月29日、NABF北米ウェルター級王座決定戦でデビッド・エストラーダ(アメリカ)と対戦、立ち上がり相手の強烈なプレスを前に押され気味となるが3回には打ち合いを演じペースを奪還、中盤には相手も徐々に疲れの色を見せ始め8回にはボディブローを当てピンチに陥れるも相手も意地を見せダウンを拒否、しかし疲労とダメージが深い相手はベルトの右アッパーを貰いダウンなんとか立ち上がるもそのままレフリーストップ、11回TKO勝ちで王座を獲得した。また、WBC並びにIBF世界ウェルター級王座への挑戦権を獲得した。

2008年2月9日、カリフォルニア州テメキュラのペチャンガリゾート&カジノで元EBU欧州ウェルター級王者で世界挑戦の経験もあるマイケル・トラバント(ドイツ)と対戦、スピード、パワーで相手を明白に上回り徐々に防戦一方の展開となっていき5回には右ストレートで顔面をとらえ6回にも続け様にコンビネーションを決め続けた。試合は6回終了後のインターバルでトラバント陣営がギブアップして試合終了、6回終了TKO勝利によりNABF王座初防衛に成功した。
世界王座獲得

2008年6月21日、フロイド・メイウェザー・ジュニアの王座返上に伴いWBC世界ウェルター級2位のミゲール・ロドリゲス(メキシコ)とWBC世界ウェルター級王座決定戦を行い、7回TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。

2008年9月27日、カリフォルニア州カーソンホーム・デポ・センター・テニスコートにて、元IBF世界スーパーフェザー級王者のスティーブ・フォーブス(アメリカ)と対戦し、ベテランの巧みなディフェンス技術に手を焼く場面もあったが、全体的に手数を多く出していきダウンこそなかったものの大差の判定で勝利し初防衛に成功した[12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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