アンドレイ・タルコフスキー
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アンドレイ・タルコフスキー
Андрей Арсеньевич Тарковский

生年月日 (1932-04-04) 1932年4月4日
没年月日 (1986-12-29) 1986年12月29日(54歳没)
出生地 ソビエト連邦
ロシア社会主義連邦ソビエト共和国イヴァノヴォ州ザブラジェ
死没地 フランスパリ
国籍 ソビエト連邦
主な作品
惑星ソラリス』(1972年)
』(1975年)
ストーカー』(1979年)

 受賞
カンヌ国際映画祭
審査員特別グランプリ
1972年惑星ソラリス
1986年サクリファイス
監督創造大賞
1983年ノスタルジア
国際映画批評家連盟賞
1969年アンドレイ・ルブリョフ
1972年『惑星ソラリス』
1983年『ノスタルジア』
1986年『サクリファイス』
エキュメニカル審査員賞
1980年ストーカー
1983年『ノスタルジア』
1986年『サクリファイス』
ヴェネツィア国際映画祭
金獅子賞
1962年『僕の村は戦場だった
英国アカデミー賞
外国語作品賞
1987年『サクリファイス』
その他の賞

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アンドレイ・タルコフスキー(ロシア語: Андре?й Арсе?ньевич Тарко?вский, アンドレイ・アルセーニエヴィチ・タルコフスキー, 英語: Andrei Arsenyevich Tarkovsky, 1932年4月4日 - 1986年12月29日)は、ソ連映画監督
人物

「映像の詩人」と呼ばれ、叙情的とも言える自然描写、とりわけ「水」の象徴性を巧みに利用した独特の映像美で知られる。深い精神性を探求し、後期から晩年にかけて、人類の救済をテーマとした作品を制作・監督する。表現の自由を求めてソ連から亡命し、故郷に還ることなく、パリにて54歳で客死する。
生涯

1932年4月4日、ヴォルガ川流域のイワノヴォ地区、ユリエヴェツの近郊ザブラジェで生れる。父はウクライナの詩人として著名なアルセニー・タルコフスキー[1]。タルコフスキーの幼少期に父は家を出て別の家庭を作ったために、主に母親に育てられる(この間の事情は、自伝的作品 『』(1975年) に描かれている)。この幼少時にタルコフスキーは、作曲家になる事を夢見ていたと言われる。

赤貧のうちに育ち、芸術学校でまず音楽の勉強をしたが家にピアノが無いので練習不足で断念。次に絵の勉強を始めるが結核で一年間療養生活を送る。東洋大学のアラビア語に入学するが一年半で中退。ちょうどアメリカ文化に影響を受けた「スチリャーガ」と呼ばれた若者が現れた時期であり、タルコフスキーはその流行の先端を行くジャズと女性が好きな不良少年となった。心配した母親がシベリア地質調査隊に入隊させ、1953年から1年間をシベリアのタイガの森で過ごす。

その後、映画大学への進学を決意。父親の尽力もあって1954年に全ソ国立映画大学に入学。落ちこぼれだったタルコフスキーが名門のこの学校へ入学できたのは奇跡だったと友人達は証言している。ミハイル・ロンムのもとで映画を学んで[2]頭角を現し、後にやはりソ連を代表する映画監督となるアンドレイ・コンチャロフスキーやその弟のニキータ・ミハルコフらと親交を結ぶ。アメリカかぶれは健在で3年生のときにヘミングウェイ原作の短編『殺人者』を製作。

タルコフスキーの世代は、スターリン体制が終わりを告げて西側の文化がソ連に急速に流れ込んできた雪解け期が青年期にぶつかっており、タルコフスキーもそうした文化に大きく感化されている。後に彼が書いた映画評論も、ジャン=リュック・ゴダールからルイス・ブニュエル黒澤明ロベール・ブレッソンアンディ・ウォホールフェデリコ・フェリーニオーソン・ウェルズミケランジェロ・アントニオーニイングマール・ベルイマンなど西側の映画への言及が多い。

卒業制作短編 の『ローラーとバイオリン』(監督)はニューヨーク国際学生映画コンクールで第一位を受賞。1962年にウラジーミル・ボゴモーロフのベストセラー小説 『イワン』 を原作とした 『僕の村は戦場だった』に急遽代役起用され、長編映画監督としてデビューし、本作で1962年のヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を史上最年少(30歳)で受賞(この記録は現在でも破られていない)。企画段階では参加していなかった作品ではあるが、「水」や「夢」など、将来のタルコフスキー作品を彩るモチーフはこの時期から現れている。

将来を嘱望されたタルコフスキーは、1962年から63年末にかけてロシアの伝説的イコン画家の生涯を描いた歴史大作映画『アンドレイ・ルブリョフ』の脚本を映画大学の後輩コンチャロフスキーと共同執筆。大作ゆえの予算不足と検閲で苦しみながら1967年に完成するがソ連当局より「反愛国的」と指摘されて、国内では5年間上映されなかった。海外では高い評価を受け、1969年のカンヌ映画祭で国際映画批評家賞受賞。ソ連では71年12月にモスクワで公開された後、地方都市でも公開されて全国で290万人を動員した[3]

映画監督としての力量自体はモスフィルム関係者の中でも認められており、1972年には莫大な費用を費やした『惑星ソラリス』(スタニスワフ・レム原作)を製作。


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