アンドレイ・コンチャロフスキー
Andrei Konchalovsky
2018年撮影
本名Andrei Sergeyevich Mikhalkov-Konchalovsky
Андре?й Серге?евич Михалко?в-Кончало?вский
生年月日 (1937-08-20) 1937年8月20日(86歳)
出生地 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、モスクワ
国籍 ロシア
配偶者Irina Kandat (1957年 - ?)
Natalya Arinbasarova (1964年 - 1967年)
Viviane Gaudet (1969年 - 1980年)
Yuliya Vysotskaya (1999年 - )
著名な家族セルゲイ・ミハルコフ(父)
ニキータ・ミハルコフ(弟)
主な作品
『シベリアーダ
受賞
カンヌ国際映画祭
審査員特別グランプリ
1979年『シベリアーダ』
ヴェネツィア国際映画祭
銀獅子賞(監督賞)
2014年『白夜と配達人』
2016年 『パラダイス』
審査員特別賞
2002年『愚か者の家』
2020年『親愛なる同志たちへ』
ロベール・ブレッソン賞
2016年
エミー賞
監督賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)
1997年『オデュッセイア/魔の海の大航海』
その他の賞
カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭
グランプリ
1974年『恋人たちの歌』サン・セバスティアン国際映画祭
最優秀作品賞
1989年『天使が降りたホームタウン』
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アンドレイ・セルゲーヴィチ・コンチャロフスキー (露: Андре?й Серге?евич Кончало?вский、ラテン文字転写例:Andrei Sergeyevich Konchalovsky, 1937年8月20日 - ) は、ソ連・ロシアの映画監督。
アンドレイ・セルゲーヴィチ・ミハルコフ=コンチャロフスキー(露: Андре?й Серге?евич Михалко?в-Кончало?вский、ラテン文字転写例:Andrei Sergeyevich Mikhalkov-Konchalovsky)とも表記される[1]。父親は作家のセルゲイ・ミハルコフ、弟は同じく映画監督のニキータ・ミハルコフである[2]。 1937年8月20日、モスクワで生まれる[2]。父親は作家・詩人で、ロシア連邦国歌・ソビエト連邦国歌の作詞でも知られるセルゲイ・ミハルコフ、母親も詩人であり、コンチャロフスキーは同じく映画監督となった弟のニキータ・ミハルコフとともに芸術家の家庭で育った[2]。初めはピアニストを志していたが[2]、次第に映画に転向。その後、全ソヴィエト連邦国立映画大学に入学した[2]。卒業製作の短編『Мальчик и голубь(少年と鳩)』(1961年)がヴェネツィア国際映画祭で賞を受けたことによって注目された[3]。 1965年、黒澤明の作品に影響を受けて製作した長編処女作『最初の教師』を発表[4]。翌1966年の第27回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品された[5]。2作目の『愛していたが結婚しなかったアーシャ』(1966年)は検閲によって上映禁止処分を受け、ゴルバチョフによるペレストロイカによって1988年に初めて公開された[2]。同作は第38回ベルリン国際映画祭で国際映画批評家連盟の特別表彰を受けた[6]。また、1960年代は同じく全ソ国立映画大学の生徒だったアンドレイ・タルコフスキーと活動し、タルコフスキーの『ローラーとバイオリン』(1960年)や『僕の村は戦場だった』(1962年)、『アンドレイ・ルブリョフ』(1966年)の脚本を共同で執筆した[7]。 1971年にチェーホフの同名小説を映画化した『ワーニャ伯父さん』を発表[8]。同年のサン・セバスティアン国際映画祭で銀の貝殻賞を受賞した[8]。1979年には叙事詩大作『シベリアーダ』を発表[9]。同年の第32回カンヌ国際映画祭で審査員特別グランプリを受賞した[9]。 1980年にはハリウッドでの映画製作のためにアメリカへ移住[2]。
来歴