アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー
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アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー
Andrew Kevin Walker
生年月日 (1964-08-14)
1964年8月14日(59歳)
出生地 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州アルトゥーナ
国籍 アメリカ合衆国
ジャンル脚本家
活動期間1993年 -
活動内容1995年:『セブン
2010年:『ウルフマン
主な作品
セブン
スリーピー・ホロウ
ウルフマン
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アンドリュー・ケヴィン・ウォーカーはアメリカの脚本家。英国アカデミー賞においてオリジナル脚本賞にノミネートされた『セブン』の脚本家として知られている。その他、『8mm』や『スリーピー・ホロウ』の脚本を担当し、クレジットされていないリライト作品も多数ある。
生い立ち[ソースを編集]

ウォーカーはアメリカ合衆国ペンシルベニア州アルトゥーナに生まれ、少年期に同じペンシルベニア州メカニクスバーグに移り、そこで育った。メカニクスバーグ区高等学校を1982年に卒業後、映画キャリアのためにペンシルベニア州立大学に入学。フィルムとビデオの学士を取得し、1986年に卒業[1]
キャリア[ソースを編集]

学業を終えるとすぐにニューヨークに移り、タワーレコードの店員として働いた。その傍らいくつかの仕事を手がけるが、これといった成果は得られなかった。1991年、『セブン』の脚本を書き上げたウォーカーは、その脚本を売るためにロサンゼルスに移る。そこでウォーカーは脚本家のデヴィッド・コープに個人的に連絡をとった。コープはニューラインシネマの重役たちにウォーカーの脚本を見せ、ついにはニューラインシネマが脚本を買い取った。しかしながら、映画の製作が始まるまでに3年かかり、その間にウォーカーはHBOのテレビシリーズ『Tales From the Crypt』の1エピソードや映画『ブレインスキャン』、『ハイダウェイ』で脚本家として活躍した[1]

セブン』の製作は他の映画2本の間に開始され、監督はデヴィッド・フィンチャー、出演はモーガン・フリーマンブラッド・ピットケヴィン・スペイシーに決まった。しかし製作中にスタジオ側が観客のターゲット層に対して内容が暗すぎるといくつか脚本の変更を提案したが、フィンチャーとフリーマンは反対し、最終的には何の変更もなく製作された[1]。映画は絶賛され、興行的にも成功し全世界で3億2700万ドルの成績を得た[2][3]。結果、ウォーカーの名は映画業界で広く知られることになり、ピットやスペイシーも世界的なスターとなった。

しかしながら、ウォーカーはその後4年間ほどリライトで参加しているにもかかわらず脚本家としてクレジットされることがなかった。同じフィンチャー監督の『ゲーム』やポール・W・S・アンダーソン監督の『イベント・ホライゾン』などがそうである[4]。そんな中、1999年の『8mm』でようやく日の目をみる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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