アントン・ロマコ
Anton Romako
自画像
誕生日1832年10月20日
出生地 オーストリア帝国、アツガースドルフ
アントン・ロマコ(ドイツ語: Anton Romako、1832年10月20日 - 1889年3月8日)は、オーストリア=ハンガリー帝国の画家。 現在はウィーンの一部であるアツガースドルフ
生涯
長年ローマで活躍していた[2]。妻に逃げられ[1]、1876年にウィーンに戻ってきたが、祖国では評価されなかった[2]。注文の多くは時代の寵児であったハンス・マカルトのもとに持ち込まれてしまうため、ロマコにはあまり仕事が回ってこなかった[1]。ロマコは筆が早く、肖像画を描いて何とか生計を立てた[1]。
ロマコの最期は自然な病死だったが、自殺という噂も立った[1]。 今日では、19世紀後半のオーストリア画家の中で、最も技量に優れていたと評価されている[3]。ロマコの肖像画は、モデルの特徴を的確に捉えたものであった[1]。 ロマコの最も有名な作品は、おそらく『リッサ海戦のテゲトフ提督』である[1]。これは、海戦の激しさが生々しく描かれている点で画期的であった。『リッサ海戦のテゲトフ提督』のように、瞬間性とバロック的な激しい動きを結び付けたロマコの絵画は、マカルトのものよりも芸術としての長い生命を持っている[1]。
評価と作風
ギャラリー
『ローマン・スピナー』(Romische Spinnerin)
『落穂拾い』(Nach der Ernte)
『祭壇の前のピッフェラーリ』(Pifferari before an altar)
『ナポリの酒場』(Neapolitanische Schenke)
『ブリガンドの妻』(Die Brigantessa)1872年
『リッサ海戦のテゲトフ提督』(Admiral Tegetthoff in der Seeschlacht bei Lissa II)1878-1880年
ヨハン・シュトラウス2世の肖像画(Bildnis Johann Straus)1880年頃