アントン・ラヴェイ
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アントン・サンダー・ラヴェイ(Anton Szandor LaVey、本名 ハワード・スタントン・リーヴィー Howard Stanton Levey、1930年4月11日 - 1997年10月29日[1]は、サタン教会開祖であり、アメリカ合衆国における同教会の司祭長であった。著述家、オカルティストミュージシャンでもあった。The Satanic Bible(『サタンの聖書』)を著し、人間の本性についてラヴェイ自身の理解するところと、物質主義快楽主義個人主義を主張した哲学者たちの洞察とを総合した体系である「ラヴェイ派サタニズム」(LaVeyan Satanism)を創始した。
概要
誕生から青年期まで

ラヴェイはシカゴでハワード・スタントン・リーヴィー として生まれた。父は、シカゴ出身のMichael Joseph Lavey(1903?1992)で、母はGertrude Augusta Coultronという。母は1893年にオハイオ州に来た移民の娘で、父はロシア人、母はウクライナ人だった。祖父母は1900年にアメリカ市民権を獲得し、帰化した。だが、ラヴェイの伝記には、彼はフランス人ロシア人ウクライナ人ドイツ人ルーマニア人グルジア人アルザス人の血を引いていると書いてある[2][3]

ラヴェイの家族はカリフォルニア州に引っ越し、ラヴェイは幼少期をサンフランシスコ・ベイエリアやアリゾナ州グローブで過ごした彼の楽器への興味に両親も賛同し、その結果、多くの楽器に触れる機会を得たが、その中でも彼のお気に入りはパイプオルガンやカリオペといった鍵盤楽器だったこのころ、彼はアール・ヘーゲンの『ハーレム・ノクターン(英語版)』といった楽曲を演奏した[4]

彼は16歳のころまでカリフォルニア州ミル・バレーにあるTamalpais High Schoolへ通っていた[5][6]

伝記によると、彼は高校中退後、サーカスに入り、その後カーニバルへ参加した。最初彼は雑役から入り、次に大型の猫の調教師になり、それからカリオペの演奏者となり、カーニバルの読唇術も務めたこともあった。

土曜の夜に下品なショーを行った後、日曜の朝に同じテントで同じメンバーが伝道集会を行うのを見て、宗教に疑問を持つようになったと、ラヴェイは回想している。後にラヴェイはオルガン奏者としてバーやラウンジ、ナイトクラブで働いた。ドイツ語版The Satanic Bibleにおいて、ラヴェイはこの経験が宗教への否定を強めたことを語っており、熱心な礼拝出席者が二重の道徳基準を用いていることを非難した[7]。ロサンゼルスでオルガン奏者として活動していたところ、当時マヤ・シアター(英語版)で活動していた無名のダンサーだったマリリン・モンローと関係があったことを記しているこのことについては、当時のモンローを知る者たちから正確性が疑われており、マヤ・シアターの支配人である、ポール・ヴァレンティンも、「モンローがラヴェイのバックダンサーだったと言う事実はないし、Mayan Theaterがバーレスクの会場として利用されていたという事実はない。」と話している[8]

サンフランシスコに戻った後、ラヴェイはサンフランシスコ市警察で3年間カメラマンとして働く傍ら超常現象の調査も行い、在職中のラヴェイの元には800件の依頼があった。後に彼の伝記の著者がサンフランシスコ市警にラヴェイが在籍していたかどうか問い合わせたが、彼の在籍が事実であることを実証する結果は得られなかった[1][9]。サンフランシスコ市警在籍時、ラヴェイはジョージ・ハース、ロバート・バーバー・ジョンソン(英語版)(ジョンソンはサーカスで調教師兼カーニバルの背景描きを務めていたころにラヴェイと出会っていた)、クラーク・アシュトン・スミス(後にブランシュ・バートンのThe Secret Life of a Satanistに登場)といった「ウィアード・テイルズ」の参加者たちと知り合った。

1950年、ラヴェイはCarole Lansingと知り合い、翌年結婚。さらにその1年後である1952年にカーラ・ラヴェイをもうけた。ラヴェイが Diane Hegartyに夢中になったため1960年Carole Lansingと離婚した。ラヴェイとHegartyは結婚することはなかったもののパートナー同士であり続け、1963年2番目の娘であるZeena Galatea LaVeyが誕生した[10]

関係が破たんした際、ハガトリーは慰謝料を請求した[11][12]
サタニズムへの傾倒

ロスト・ウィークエンド・カクテル・ラウンジでのウーリッツァー・オルガン(英語版)の演奏オルガン奏者としてだけでなく、の超常現象に関する研究もあって地元の名士に仲間入りしたラヴェイは多くの名士を呼んでパーティーをよく開き、Carin de Plessin、マイケル・ハーナー(英語版)、Chester A. Arthur III、フォレスト・J・アッカーマンフリッツ・ライバー、Dr. Cecil E. Nixon、ケネス・アンガーといった人物もパーティーに来場した。
サタン教会

ラヴェイは、毎週金曜日の夜にオカルトと宗教的な儀式についての講義を始めるようになった。このサークルの参加者たちは、彼に新しい宗教の基礎を作らないかと持ちかけた。


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