アメリカ合衆国の政治家アントニー・ブリンケンAntony Blinken
2021年2月8日
生年月日 (1962-04-16) 1962年4月16日(62歳)
出生地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ヨンカーズ
出身校ハーバード大学
コロンビア大学
所属政党 民主党
称号文学士(ハーバード大学)
法務博士(コロンビア大学)
配偶者エヴァン・ライアン
(2002年3月 - )
子女2人
アメリカ合衆国
第71代国務長官
在任期間2021年1月26日 - 現職
大統領ジョー・バイデン
アメリカ合衆国
第18代国務副長官
在任期間2015年1月9日 - 2017年1月20日
大統領バラク・オバマ
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アントニー・ジョン・ブリンケン(英語: Antony John Blinken、1962年4月16日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。民主党所属の外交官。2021年1月より同国の第71代国務長官を務めている。
来歴
生い立ち(英語版
母のジュディスは父のドナルドと離婚し、1971年9月に数年来の不倫相手でホロコーストを生き延びたポーランドの出身で、ポーランド系ユダヤ人の大物弁護士であるサミュエル・ピサール(英語版)と再婚し[6]、アントニーを連れてパリへ移住した[1]。9歳から18歳までをパリで過ごすことになり[7]、フランス語が流暢になった[7][5]。パリのエコール・ジャンヌ・マヌエル(英語版)で学んだ[8]。
ハーバード大学で社会学を専攻し、隔週学生雑誌『ザ・ハーバード・クリムゾン(英語版)』の共同編集者となった[5][1][9][10]。一時はジャーナリストや映画監督を夢見たが[5]、コロンビア・ロー・スクールで学んで1988年に法務博士号を取得し[11]、その後しばらく法律業務に従事した[5]。
1993年から国務省欧州局に勤務するようになり[5]、ビル・クリントン大統領のスピーチライターを務めた[7]。その後の2002年4月から2008年11月にかけて上院外交委員会の民主党スタッフとなり[12]、上院外交委員長を務めていたジョー・バイデンと親交を深め、以後はバイデンと活動を共にするようになった[5]。
オバマ政権ホワイトハウスのシチュエーションルームで国家安全保障会議メンバーがアメリカ軍のビン・ラディン殺害作戦を見守る。後方に当時国家安全保障担当副大統領補佐官だったブリンケンがいる(2011年5月1日)。
2009年1月にバラク・オバマ政権が発足すると、バイデン副大統領のもとで国家安全保障担当副大統領補佐官(英語版)に就任し、アフガニスタン・イラク・イランの核開発問題などに対するアメリカの政策に携わった[13][14]。
2011年5月にオバマ大統領がネプチューン・スピア作戦を実行した際、ブリンケンは「私はリーダーがこれほど勇気ある決断をしたのを見た事が無い。」と述べた[15]。人道的介入論者としてシリア内戦・リビア内戦への積極関与を強く主張し[7]、同年3月のNATOによるリビアに対する軍事行動・シリアの反政府勢力への武器提供(英語版)などを支持した[16][17]。
2013年1月から2015年1月にかけては国家安全保障担当大統領副補佐官(英語版)を務めた[5]。
2013年9月のプロフィールにはシリアに関する政策の政府のキーマンの1人であり[1]、対外的な代表者を務めたと紹介されている[16]。