アントニオ・マルガリート
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アントニオ・マルガリート
基本情報
本名アントニオ・マルガリート・モンティエール
通称Tijuana Tornado(ティファナの竜巻)
Tony
階級ウェルター級
身長180cm
リーチ183cm
国籍 メキシコ
誕生日 (1978-03-18) 1978年3月18日(46歳)
出身地 アメリカ合衆国
カリフォルニア州トーランス
スタイルオーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数50
勝ち41
KO勝ち27
敗け8
無効試合1
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ファンに囲まれるマルガリート

アントニオ・マルガリート・モンティエール(Antonio Margarito Montiel、1978年3月18日 - )は、メキシコの元男子プロボクサーアメリカ合衆国カリフォルニア州トーランス出身。ティフアナ在住。第9代WBO世界ウェルター級王者。第12代IBF世界ウェルター級王者。元WBA世界ウェルター級スーパー王者

「Tony」の愛称のほかに「Tijuana Tornado(ティファナの竜巻)」の異名を持つ。

2009年1月、シェーン・モズリー戦試合前の控え室で、マルガリートのバンデージ内に不正パッドが挿入されている事が発覚。後の分析でパッドには硫黄とカルシウムが含まれており酸素と結合することで石膏に変化して硬化することが判明し、マルガリートは1年間の試合出場資格剥奪処分を受けることとなった[1]
来歴

フリオ・セサール・チャベスに憧れてボクシングを始め、1994年1月14日に16歳でプロデビューする。しかし、デビュー後12戦で9勝3敗と決して注目されるような選手ではなかった。しかし、地道にボクシングを続け、着実にランクアップする。

2000年2月19日、セルヒオ・マルチネスアルゼンチン)と対戦、初回終了間際にダウンを奪うと、その後も勢いが落ちることはなく前進し続け手数とプレスをかけていくも相手も負けじと押しかえていき好戦的な戦いが続いていたが7回に相手がロープを背負った所をチャンスと見るや連打で攻め最後はレフリーストップを呼び込みTKO勝利となりマルチネスに初の敗北を与えた。

2000年6月16日、デビッド・カマウ(ケニア)が持つNABO北米ウェルター級王座に挑戦、2回TKOで勝利し自身初タイトルとなった。

2001年7月21日、プエルトリコバヤモンのコリセオ・ルーベン・ロドリゲスにてダニエル・サントス(プエルトリコ)が保持するWBO世界ウェルター級王座へ挑戦し、初回に自身の眉付近が切り裂かれてしまい負傷による無効試合となり、消化不良の結果となった。

2002年3月16日、サントスの王座返上に伴うWBO世界ウェルター級王座決定戦を米国・ネバダ州ラスベガスバリーズにてアントニオ・ディアスと行い、10回2分17秒TKO勝ちを収め、王座獲得に成功し悲願の世界チャンピオンとなった。

2002年10月12日、米国・カリフォルニア州アナハイムアローヘッド・ポンド・オブ・アナハイム現(ホンダセンター)にてダニー・ペレス(アメリカ)を相手に初防衛戦を行いジャッジ2者がフルマークを付ける完勝で初防衛に成功した。

2003年2月8日、ネバダ州ラスベガスのマンダレイ・ベイで元WBA世界ウェルター級王者のアンドリュー・ルイス(ガイアナ)と対戦2回2分31秒TKO勝利で2度目の防衛に成功した。

2004年1月31日、米国・アリゾナ州フェニックスで22戦無敗の挑戦者ハーキュレス・キベロス(カナダ)と対戦し、2回0分54秒TKO勝利で3度目の防衛に成功した。

2004年9月11日、スーパーウェルター級に階級を上げ、当時WBO世界スーパーウェルター級王者になっていたダニエル・サントスと再戦し、1-2(84-87、85-86、86-85)の10回負傷判定負け[2]で敗れてしまった。敗れたマルガリートは、またウェルター級へと戻り、そのままウェルター級王者として防衛を続けることになる。

2005年2月18日、米国・ニュージャージー州アトランティックシティボードウォーク・ホールにてセバスチャン・ルハン(アルゼンチン)と対戦、身長差をいかしながら試合を優位に進めていき10回に挑戦者の左耳からの出血が酷くなってしまった為ここで試合がレフェリーストップ10回2分57秒にTKO勝利により4度目の防衛に成功した。

2005年4月23日、ネバダ州ラスベガスのシーザーズ・パレスにてメーンイベンターとして登場、暫定王者となっていたカーミット・シントロン(プエルトリコ)[3] を5回TKOで破り、WBO世界ウェルター級王座の統一に成功し同時に5度目の防衛も成功、敗れたシントロンはプロに入ってから初めての洗礼を受け全勝記録が途切れた。

2006年2月18日、ネバダ州ラスベガスのアラジン・リゾート&カジノにてマヌエル・ゴメス(メキシコ)と対戦し、初回わずか74秒で相手をマットに沈め6度目の防衛に成功した。

2006年12月2日、ジョシュア・クロッティガーナ)と対戦し、序盤相手の鉄壁のガードで手を焼く場面もあり時折パンチを貰う事もあったが、ガードの上からでもお構いなしにパンチを打ち込んでいき判定まで行ったものの、文句なしの判定勝利となり7度目の防衛に成功した。

2007年7月14日、32戦全勝のウェルター級のホープポール・ウィリアムス(アメリカ)の挑戦を受けるも、0-3の判定で敗れ、8度目の王座防衛に失敗した。約5年間の長期政権に終止符を打ったマルガリートは 「判定を盗まれた」 と、この判定結果に不満を示し、すぐに再戦を要求した[4]

敗戦後の復帰戦として同年11月10日に空位のWBOインターコンチネンタルウェルター級王座をゴールデン・ジョンソン(アメリカ)と争い、1回TKOで勝利して獲得した[5]

2008年4月12日、カーミット・シントロンの持つIBF世界ウェルター級王座に挑戦。両者は3年前に1度対戦してマルガリートがKO勝ちを収めており、シントロンからして見ればリベンジのチャンスでもあり互いに王者と挑戦者の立場が入れ替わった一戦であったが、結果は6回1分57秒KO勝ちで、またしても返り討ちにし再び世界王座を獲得した[6]

IBF世界ウェルター級王座返上後の2008年7月26日にミゲール・コットWBA世界ウェルター級王座に挑戦。有効打を浴びつつも終始プレッシャーをかけ続け、ついに11回2分5秒TKO勝ちを収め、ウェルター級最強との呼び声も高かったコットに初黒星をつけると共にWBA世界ウェルター級王座を獲得した[7]。戦前から、この試合の勝者がオスカー・デ・ラ・ホーヤの現役引退試合の相手になる予定になっており、マルガリートも「自分の憧れだったフリオ・セサール・チャベスの仇を討つ」とやる気満々だったが、デラホーヤがマルガリートとの対戦を拒否したため実現しなかった。

その後、マルガリートがWBA王座獲得の前戦でIBF王座を獲得しているため、事実上の2団体統一王者であることを考慮して、WBAはマルガリートをスーパー王座に認定した。

2009年1月24日、ロサンゼルスステイプルズ・センターで行われたWBAスーパー・世界ウェルター級タイトルマッチでシェーン・モズリーに8回にダウンを奪われ、9回0分43秒TKO負けを喫し、王座から陥落した[8]

試合前、モズリーのトレーナー、ナジーム・リチャードソンがマルガリートのバンデージの中に異物があるのを発見[9]。異物は取り除かれバンデージは巻き直しさせられた。


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