アントニオ・パチェコ
Antonio PachecoA級タンパでのコーチ時代
(2016年4月16日)
基本情報
国籍 キューバ
出身地サンティアーゴ・デ・クーバ州パルマ・ソリアーノ
生年月日 (1964-06-04) 1964年6月4日(59歳)
身長
体重6' 2" =約188 cm
207 lb =約93.9 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション二塁手、遊撃手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
アビスパス・デ・サンティアーゴ・デ・クーバ
シダックス
監督歴
アビスパス・デ・サンティアーゴ・デ・クーバ
国際大会
代表チーム キューバ
五輪1992年、1996年、2000年
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オリンピック
男子 野球
金1992野球
金1996野球
銀2000野球
アントニオ・パチェコ・マソー(Antonio Pacheco Masso 1964年6月4日 - )は、キューバのサンティアーゴ・デ・クーバ州出身の元野球選手(内野手)。右投右打。 1980/1981シーズンから2001/2002シーズンまで22シーズンに渡り、キューバ国内リーグであるセリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル(SNB)のアビスパス・デ・サンティアーゴ・デ・クーバに所属。キューバ代表の主将を務め、オマール・リナレスやオレステス・キンデランとクリーンナップを担った。1983年のパンアメリカン競技大会から代表入りをして、以後2001年までの25の国際大会のうち11大会で打率4割以上を打った。守備でも軽々としたフットワークから強い送球で走者を刺す二塁手であった。 2002年のシーズン中、キンデランとともに社会人野球のシダックスに入団。翌2003年から監督に就任した野村克也の指導の下でキンデランとクリーンアップを打ち、チームの打撃の中核を担った。同年行なわれた第74回都市対抗野球大会では準優勝に貢献したが、その翌月にアキレス腱を痛めてシーズン後半は欠場を余儀なくされ、翌2004年も負傷の影響で前年ほどの活躍はできなかった。同年限りで現役を引退しキューバに帰国した。 2011/2012シーズンにエンリケ・エステバン・ディアス 帰国後、2004/2005シーズンから2010/2011シーズンまでアビスパス・デ・サンティアーゴ・デ・クーバの監督としてチームを率いた。その間、2004/2005シーズン、2006/2007シーズン、2007/2008シーズンにチームをシリーズ優勝に導いた[1]。 また2008年の北京オリンピックでは代表監督に就任。キューバを銀メダルに導いた。
来歴
現役時代
現役引退後