アンデウソン・シウバ
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ブラジルのサッカー選手「アンデルソン・ダ・シウバ」とは別人です。

アンデウソン・シウバ
2012年
本名アンデルソン・ダ・シウバ
(Anderson da Silva)
生年月日 (1975-04-14) 1975年4月14日(49歳)
出身地 ブラジル
サンパウロ州サンパウロ
通称ザ・スパイダー
(The Spider)
居住 アメリカ合衆国
カリフォルニア州ロサンゼルス
国籍 ブラジル
アメリカ合衆国[1]
身長188 cm (6 ft 2 in)
体重84 kg (185 lb)
階級ミドル級
ライトヘビー級
リーチ196 cm (77 in)
スタイルムエタイ
カポエイラ
テコンドー
ブラジリアン柔術
詠春拳
スタンスサウスポー
チームシュートボクセ・アカデミー (1997年 - 2003年)
ムエタイ・ドリームチーム (2003年 - 2006年)
ブラジリアン・トップチーム (2003年 - 2006年)
ブラック・ハウス (2007年 - 2013年)
チーム・ノゲイラ
キラービーズ・ムエタイ・カレッジ (主宰)
ランクブラジリアン柔術 (黒帯三段)
テコンドー (黒帯五段)
ムエタイ (黒帯)
柔道 (黒帯)
現役期間1997年 - 2020年

総合格闘技記録
試合数46
勝利34
ノックアウト23
タップアウト3
判定8
敗戦11
ノックアウト4
タップアウト2
判定4
失格1
無効試合1

プロボクシング記録
試合数5
勝利3
ノックアウト2
敗戦2

ムエタイ記録
試合数1
勝利1
ノックアウト1
敗戦0
その他
子供5人
ウェブサイト ⇒http://spidersilva.com/mobile/
https://www.spiderkick.com/
総合格闘技記録 - SHERDOG
ボクシング記録 - BoxRec
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アンデウソン・シウバ[2](Anderson Silva, 1975年4月14日 - )は、ブラジルアメリカ合衆国男性総合格闘家プロボクサーパラナ州クリチバ出身。アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス在住。チーム・ノゲイラ所属。キラービーズ・ムエタイ・カレッジ主宰。元UFC世界ミドル級王者。UFC殿堂入り。ジルマ・ルセフブラジル大統領(当時・左)とシウバ(右)(2011年)
概要

細長い腕と脚から、ザ・スパイダー(蜘蛛)の異名を持ち、長い四肢とバックボーンのムエタイで培った強烈かつスピーディーな打撃、また、優れた動体視力と反応速度を駆使したスウェーやダッキングなどの卓越したディフェンステクニックを武器に長期に渡ってUFC世界ミドル級王者として君臨し、総合格闘技におけるパウンド・フォー・パウンド最強の1人と目されていた。また、全盛期での圧倒的な強さとカリスマ性から「The Greatest Of All Time」(史上最高の意)と称された[3]

UFCにおいて、全階級を通じて王座の在位期間がUFC史上最長(2457日間)であり、全階級を通じた最多連勝記録(16連勝)も保持する。王座最多連続防衛記録でも初代UFC世界フライ級王者のデメトリアス・ジョンソン(11回)に次ぐ歴代2位の記録(10回)を有する。
来歴

サンパウロに生まれ、経済的な理由から4歳の時にクリチバの叔母の下へ預けられた。クリチバでは、まず柔術を学び、テコンドーを8年間学んだ。その後ムエタイを3年間学んだ後、シュートボクセ・アカデミーに所属していたファビオ・ノグシの下で7年間トレーニングを積んだ[4]

その後、才能がフジマール・フェデリコ会長の目に留まり、シュートボクセの本部へ移籍した。

2001年3月2日、初参戦となった修斗加藤鉄史と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。

2001年8月26日、修斗ミドル級 (76 kg) タイトルマッチで王者の桜井"マッハ"速人に挑戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。

2001年11月26日、PRIDE参戦と階級転向を理由に修斗ミドル級王座を返上した。
PRIDE・Cage Rage

2002年6月23日、PRIDE初参戦となったPRIDE.21アレックス・スティーブリングと対戦し、ドクターストップでTKO勝ちを収めた。

2003年3月16日、PRIDE.25で元UFC世界ウェルター級王者のカーロス・ニュートンと対戦し、タックルに合わせたカウンターの飛び膝蹴りでKO勝ち。同年6月8日、PRIDE.26高瀬大樹と対戦し、三角絞めで一本負けを喫した。

2003年11月にアスエリオ・シウバらとシュートボクセ・アカデミーを離れ、ムエタイ・ドリームチーム(MTDT)を結成するもすぐに離脱。

2004年9月11日、Cage Rage世界ミドル級王座決定戦でリー・マーレイと対戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。

2004年12月31日、PRIDE 男祭り 2004長南亮と対戦。打撃で優勢に試合を進めていたが、3Rに蟹挟みからのヒールホールドで逆転の一本負け。その後、シュートボクセ・アカデミーのフジマール会長の政治的圧力によってPRIDE離脱を余儀なくされ、主戦場をCage Rageに移す。

この頃から親交の深いアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラアントニオ・ホジェリオ・ノゲイラらと共に練習をするようになり、シウバも柔術茶帯で寝技のスキルはもともと低くなかったが、総合格闘技で高いグラップリング技術を持つノゲイラ兄弟の手ほどきを受け、さらにグラップリングのスキルを磨くことで後の活躍への基盤を作った。2005年には2人から黒帯を授与されている[5]

2005年8月5日、ミノタウロことアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラが地元で主催した大会「ミノタウロ・ファイト」でボクシング戦を行い、KO勝ちを収めている。



2006年

2006年1月20日、Rumble on the Rock 8のウェルター級(79 kg)トーナメント1回戦で岡見勇信と対戦。優勢に試合を進めておきながらグラウンド状態の岡見に対して、ペダラーダ(グラウンドでの下からの顔面蹴り上げ)を放ってしまい反則で失格負けとなった。
UFC

2006年6月28日、UFC初参戦となったUltimate Fight Night 5クリス・リーベンと対戦。パンチのコンビネーションでダウンを奪うと、立ち上がったリーベンに首相撲からの右膝蹴りで再びダウンを奪い開始49秒のKO勝ち。ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[6][7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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