アンディ・ロディック
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アンディ・ロディック
Andy Roddick


2010年全米オープンでのアンディ・ロディック
基本情報
フルネームAndrew Stephen Roddick
愛称エー・ロッド(A-Rod)
国籍 アメリカ合衆国
出身地同・ネブラスカ州オマハ
居住地同・オースティンテキサス州
生年月日 (1982-08-30) 1982年8月30日(41歳)
身長188cm
体重88kg
利き手右
バックハンド両手打ち
殿堂入り2017年
ツアー経歴
デビュー年2000年
引退年2012年
ツアー通算36勝
シングルス32勝
ダブルス4勝
生涯通算成績679勝263敗
シングルス612勝213敗
ダブルス67勝50敗
生涯獲得賞金$20,637,390
4大大会最高成績・シングルス
全豪ベスト4(2003・05・07・09)
全仏4回戦(2009)
ウィンブルドン(英)準優勝(2004・05・09)
全米優勝(2003)
優勝回数1(米1)
4大大会最高成績・ダブルス
全仏1回戦(2001)
ウィンブルドン(英)1回戦(2001)
全米2回戦(1999・2000)
国別対抗戦最高成績
デビス杯優勝(2007)
キャリア自己最高ランキング
シングルス1位(2003年11月3日)
ダブルス50位(2010年1月11日)
■テンプレート  ■プロジェクト テニス

アンディ・ロディック(Andy Stephen Roddick, 1982年8月30日 - )は、アメリカネブラスカ州オマハ出身の元男子プロテニス選手。ATPツアーでシングルス32勝、ダブルス4勝を挙げた。身長188cm、体重88kg。自己最高ランキングシングルス1位。

2003年全米オープン男子シングルス優勝者。マスターズ1000では5回優勝。有数のビッグサーバーとしても知られ、サービスエース数9074本は歴代4位記録である。

また、現在男子アメリカ人選手シングルス最後のグランドスラム優勝者・世界ランキング1位・年間最終ランキング1位経験者である。
選手経歴
キャリア初期

4歳からテニスを始める。2000年全豪オープン全米オープンジュニアシングルスに優勝し、18歳でプロ転向。2001年春から男子テニス国別対抗戦・デビスカップアメリカ合衆国代表選手に選ばれた。
2003年 全米オープン優勝、No.1へ

2003年全米オープン男子シングルス4大大会初優勝。決勝では当年度の全仏オープン優勝者、フアン・カルロス・フェレーロを6-3, 7-6, 6-3のストレートで倒した。ロディックはこの優勝により、それまで長年アメリカの男子テニス界を支えてきたピート・サンプラスアンドレ・アガシの“後継者”として注目を集めた。その後ロディックは11月3日付けの世界ランキングで1位に上り詰めた。
2004年?2005年 フェデラーとの戦い、不調へ

ロディックはウィンブルドン選手権では2004年2005年の2年連続、決勝でロジャー・フェデラーに敗れて準優勝になった(フェデラーには2003年の同大会準決勝でも敗れているため、3年連続の苦杯となる)。

2004年アテネ五輪にアメリカ代表選手として、シングルス3回戦でチリ代表のフェルナンド・ゴンサレスに4-6, 4-6で敗退する。オリンピック終了後の全米オープンでは、準々決勝でヨアキム・ヨハンソンに4-6, 4-6, 6-3, 6-2, 4-6のフルセットで敗れ、早い段階で大会連覇のチャンスを逃した。2005年全米オープンでは、1回戦でジル・ミュラーに不覚を取り、6-7, 6-7, 6-7のストレートで敗退した。
2006年?2009年 再びフェデラーへ挑戦

2006年全豪オープンで、ロディックは4回戦でマルコス・バグダティスに4-6, 6-1, 3-6, 4-6で敗退する。その後、ウィンブルドンでは3回戦でイギリスの新星アンディ・マリーとの“アンディ対決”に敗れてしまった。このとき世界ランキングは12位まで落ちている。ウィンブルドン選手権の終了後、ロディックは7月26日から新コーチとして往年のスーパースターだったジミー・コナーズを招聘した。コナーズに師事し始めた後、全米オープンで3年ぶり2度目の決勝進出を果たしたが、またもやフェデラーに2-6, 6-4, 5-7, 1-6で敗れて準優勝に終わった。

その後2年低迷していったが、名コーチであるラリー・ステファンキを新たに迎え、プレースタイル改善を図っていき、2009年ウィンブルドンでは、三度目の決勝に進出しフェデラーに挑戦したが、7-5, 6-7, 6-7, 6-3, 14-16のフルセットの末惜しくも敗れ、またも準優勝に終わった [1]
キャリア後半等

ロディックは長い間クレーコート開催の全仏オープンと相性が悪く、初出場時の2001年に3回戦まで進出した後は1・2回戦敗退止まりの成績が続いていたが、ようやく2009年に初の4回戦進出を決めたが、第11シードのガエル・モンフィスに4-6, 2-6, 3-6のストレートで完敗した。

デビスカップアメリカ合衆国代表選手としても、2007年にチームを12年ぶりの優勝に導いた。

プライベートにおいては2009年4月17日に、2007年秋以降交際を続けていた水着モデルのブルックリン・デッカーと結婚した。その人気を生かし、児童虐待などの防止を呼びかけるチャリティーリストバンドをプロデュースするなど、社会的な活動も行っている。

2012年、第20シードとして出場した全米オープンの開催中で、自身の30回目の誕生日である8月30日に、現役引退を表明した。「ずっとこの大会で引退したいと思っていた。来季を戦う体力の不安があり、1回戦を戦って決めた」と記者会見で語った[2]。同大会4回戦にて、フアン・マルティン・デル・ポトロに7-6, 6-7, 2-6, 4-6で敗退し、現役を引退した。

ロディックは2017年に国際テニス殿堂入りを果たした。
プレースタイル等ロディックのサーブ、2004年

209?242 km/hのサーブを繰り出すビックサーバー。全身の力を効率よく理想的に使ったダイナミックなサーブでエースを量産する。


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