アンディ・プリオール
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アンディ・プリオール
Andy Priaulx
2008年
基本情報
国籍 イギリス
生年月日 (1973-08-08) 1973年8月8日(50歳)
出身地 ガーンジー
ドイツツーリングカー選手権での経歴
デビュー2012
所属BMW Team RBM
車番15
出走回数11
優勝回数0
ポールポジション0
ファステストラップ0
シリーズ最高順位13位 (2012)
過去参加シリーズ
1998?99
2000?01
2001?02
2003?04
2005?2010ルノー スパイダー カップ
イギリス F3
イギリスツーリングカー選手権
ヨーロッパツーリングカー選手権
世界ツーリングカー選手権
選手権タイトル
1999
2004
2005?2007ルノー スパイダー カップ
ヨーロッパツーリングカー選手権
世界ツーリングカー選手権
受賞
1999

2004オートスポーツ ブリティッシュ
クラブ ドライバー オブ ザ イヤー
オートスポーツ ブリティッシュ
コンペティション ドライバー
オブ ザ イヤー

BTCCでの経歴
チームegg:sport, ホンダ
ドライバーズ
チャンピオン0
勝利数1
表彰台5
ポール
ポジション5
ファステスト
ラップ1
デビュー2001
初勝利2002
最高位5位 (2002)
最終シーズン
(2002)順位5位 (116 ポイント)

ル・マン24時間での経歴
年2010 ?
チームBMW モータースポーツ
最高位15th (2011)
クラス優勝0
アンディ・プリオール(2007年)

アンディ・プリオール(Andrew “Andy” Priaulx MBE, 1974年8月8日 – )は、イギリス王室属領であるガーンジー島出身のカーレースドライバーである。なお、名前の日本語での呼び方について、WTCCのオフィシャルDVD内では、プリオウ、プリオゥといった発音で呼んでいる。
経歴
初期

8歳の時にカートを始め、その後しばらくパワーボートレースに熱中し、10代になるとヒルクライムレースに打ち込むようになった。ヒルクライムレースでは、天性の才能を示すようになり、1995年にはイギリスで最も権威があるヒルクライム選手権であるイギリス・ヒルクライム選手権でチャンピオンを獲得した。

翌1996年に四輪の自動車レースに移り、この年はイギリス・フォーミュラ・ルノー、さらに翌年となる1997年にはイギリスF3に参戦した。この間には特筆するような成績を収めなかったが、1998年にルノー・スパイダー選手権に移籍すると才能を開花させ、2年目となる1999年にはシーズンを完全に支配した。

2000年にイギリスF3に戻り、2001年まで参戦した。2001年にはシリーズランキング6位という結果を残しはしたものの、これではシングルシーターのカテゴリでそれ以上ステップアップすることは望めなかったため、ツーリングカーへと活動の場を移すこととなる。
ツーリングカー

2001年、F3に参戦するかたわらエッグ・ヴォクスホールチームからイギリスツーリングカー選手権(BTCC)にスポット参戦し、ポールポジションを獲ってみせた。これにより、翌年以降の進路が決まったと言える。

2002年、フォーミュラレースから同選手権に移行し、ホンダのワークスチームから参戦し、3勝を挙げた。

2003年からはBMWと契約を結び、ヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)に参戦し、初年度から選手権をランキング3位で終える上々の滑り出しを見せた。

2年目の2004年はディルク・ミューラーとシーズンを通じて激しいトップ争いを繰り広げ、最終戦を終えた時点で両者の獲得ポイントはまったくの同点となったが、優勝回数が3勝にとどまったミューラーに対して、プリオールは5勝を収めていたため規則により上位と認められ、他のカテゴリを含めて自身にとって初となるチャンピオンタイトルを獲得した。

2005年、世界ツーリングカー選手権(WTCC)に生まれ変わった同選手権に引き続き参戦した。この年もタイトル争いは最後までもつれたが、マカオで開催された最終2レースを2レースとも2位で終え、選手権の連覇に成功するとともに、世界ツーリングカー選手権の初代チャンピオンに輝いた。翌2006年もタイトル争いはマカオの最終レースまでもつれる接戦となったが、ヨルグ・ミューラーを1ポイント差で下して再びタイトルの防衛に成功。2007年もイヴァン・ミュラーとの接戦を制して、3年連続のタイトルを獲得した。FIA主催ツーリングカー選手権の3連覇は1986年から1988年にかけ達成したロベルト・ラヴァーリア以来、史上2人目となる快挙である ⇒[1]。しかし2008年、2009年は苦戦し2年続けてランキング4位となる。2010年はシーズン最多の6勝を挙げるも、第10戦岡山でのポイント?奪が響き4度目のタイトル獲得はならずまたしても4位となった。

2019年はWTCCに代わり新設され2年目を迎えるWTCR(世界ツーリングカーカップ)にボルボのワークスチームで、新たに参入するLynk & Coとタッグを組むシアン・レーシングから参戦。WTCC時代以来9年振りに復帰を果たす。チームメイトには同じくWTCCチャンピオンのテッド・ビョーク、イヴァン・ミュラー、そのミュラーの甥で若手のヤン・アーチャー。プリオールはアーチャーと共にセカンドチームシアン・パフォーマンス Lynk & Coからの出場となる。第9戦マカオのレース3でWTCC時代以来9年振りに勝利を果たした。しかしチームメイト3人と比べるとシーズン全体を通じて苦戦を強いられランキング18位で終えた。
国籍

出身地であり現在も居住しているガーンジー島はイギリス王室の属領(王領)であるが、モータースポーツに限らず、イギリス王領出身のスポーツ選手が極めて少ないという事情もあって、「イギリス人(British)ドライバー」として扱うか、という点に若干の曖昧さを持っている。

イギリス王領の人物に対しては、イギリス(連合王国)の国籍法によりイギリスの市民権{GBR}が与えられているが、これら王領はあくまで独立した自治領であり、イギリスの領土には含まれない。そのため、プリオールの国籍も「イギリス」ではなく「ガーンジー島」であるが、世界ツーリングカー選手権(WTCC)などの国際レースにおいては「イギリス人」としてエントリーしており、表彰台においてもガーンジー島の旗ではなくイギリス国旗が掲揚される。一方で、プリオール本人にはガーンジー島出身者としての誇りがあるため、ヘルメットはガーンジー島の旗をあしらったデザインとしている。

加えて、「プリオール」の場合は出身地の歴史的要因からフランス風の姓であるという別の要因から生じる問題もあり、2007年の世界ツーリングカー選手権開幕戦では2位で終えた第1レースの表彰台で、誤ってフランス国旗を掲げられてしまうという珍事があった(再び2位となった同地の第2レースではイギリス国旗が掲げられた)。なお、プリオール姓は特にフランス北部ノルマンディー地方出身者に多い姓である。
レース戦績
イギリス・フォーミュラ3選手権

年チームエンジンクラス1234567891011121314151617181920212223242526順位ポイント
1997年
スピード・スポーツ F3無限ADON
1
SIL
1
THR
1BRH
1

16SIL
1

10CRO


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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