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出典検索?: "アンディ・サワー"
アンディ・サワー2011年3月
基本情報
本名Andreas Souwer
階級ミドル級(K-1)
スーパーウェルター級(SB)
身長178cm[1]
体重70kg
国籍 オランダ
誕生日 (1982-11-09) 1982年11月9日(41歳)
出身地北ブラバント州スヘルトーヘンボス
スタイルシュートボクシング
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アンディ・サワー(Andy Souwer、1982年11月9日 - )は、オランダの男性元キックボクサー、シュートボクサー、総合格闘家。北ブラバント州スヘルトーヘンボス出身。CAESAR GYM HOLLAND/チーム・サワー/Souwer Sports Institute所属。元SB世界スーパーウェルター級王者。K-1 WORLD MAX 2005・2007世界王者。元IT'S SHOWTIME 70kg MAX世界王者。
スロースターター[2]。 2002年5月11日に行われたK-1 WORLD MAX 2002のトーナメントに出場予定であったが、怪我により欠場。代理出場となったリンホージムの弟弟子(当時)アルバート・クラウスが優勝を果たした。 2002年7月7日、シュートボクシング「S-cup 2002」で初来日。1回戦ではマヌエル・フォンセカ
来歴
2003年7月5日、K-1 WORLD MAX 2003に初出場。トーナメント1回戦でアルバート・クラウスと対戦。左目付近をカットし1R終了時点で棄権、TKO負けとなった。試合後、「クラウスの肘による攻撃でカットした。きれいな試合ではなかった」とコメントした。
2004年2月1日、SHOOT BOXING 2004 "∞-S ?infinity-S? vol.1にて土井広之と対戦し、4Rタオル投入TKO勝ちでWSBA世界スーパーウェルター級初代王座を獲得した。
2004年9月19日、S-cup 2004に出場。1回戦、準決勝を勝ち抜くと、決勝では宍戸大樹にTKO勝ちし、S-cup連覇を果たした。
2005年5月4日、K-1 WORLD MAX 2005のトーナメント1回戦でマルフィオ"ザ・ウォーリヤータイガー"カノレッティに判定勝ち。7月20日の準々決勝では小比類巻貴之に判定勝ち、準決勝では安廣一哉にTKO勝ち、決勝では前年の優勝者ブアカーオ・ポー.プラムックに延長判定勝ちし、初優勝を果たした。
その後リンホージムを離脱し、メジロジムに移籍。
2006年4月5日、K-1 WORLD MAX 2006のトーナメント1回戦でアマラ忍に判定勝ち。6月30日の準々決勝ではヴァージル・カラコダに1Rにダウンをもらうも逆転KO勝ち、準決勝では魔裟斗に判定勝ち、決勝は前年と同じ組み合わせとなりブアカーオ・ポー.プラムックと対決。2Rまで互角に試合を進めるも左フックを受けダウン。その後パンチを纏められて3ダウンし、準優勝となった。
2006年7月8日、オランダで結婚式を挙げた。
2006年11月3日、S-cup 2006に出場。1回戦でマルフィオ"ザ・ウォーリヤータイガー"カノレッティに判定勝ち、準決勝でダニエル・ドーソンに判定勝ちしたが、決勝で緒形健一に判定負けし、3連覇を阻まれた。
2007年6月28日、K-1 WORLD MAX 2007のトーナメント1回戦でオーレ・ローセンに右クロスカウンターでKO勝ち。10月3日の準々決勝ではドラゴに再び右クロスカウンターでKO勝ち、準決勝ではアルバート・クラウスに判定勝ち、決勝は魔裟斗のタオル投入によるTKO勝ち、2度目の優勝を果たした。
2007年10月28日、SHOOT BOXING BATTLE SUMMIT GROUND ZERO TOKYO 2007でアンディ・オロゴンと対戦。1Rに右ストレートでダウンを奪われるも、2Rにダウンを奪い返すなどして、判定勝ち。
2007年11月24日、オランダでのシュートボクシング興行を自らプロデュース。ニキー・ホルツケンと72.5kg契約で対戦し、判定勝ち。
2008年3月2日、オランダでヨードセングライ・フェアテックスと対戦し、判定勝ち。
2008年4月9日、K-1 WORLD MAX 2008 FINAL16のトーナメント1回戦でマイク・ザンビディスと対戦。延長Rまで縺れる接戦になるも、最後は左ハイキックでKO勝ち。7月7日、K-1 WORLD MAX 2008 FINAL8のトーナメント準々決勝でウォーレン・スティーブルマンズと対戦し、判定勝ち。
2008年10月1日、K-1 WORLD MAX 2008 FINALのトーナメント準決勝でアルトゥール・キシェンコと対戦し、延長R判定負け。今大会よりロングスパッツの着用が禁止されたため、トランクスで登場した。
2008年11月22日、S-cup 2008に出場。1回戦ではエドウィン・キバスにTKO勝ち、準決勝では宍戸大樹に判定勝ち、決勝では緒形健一にTKO勝ち。3度目の優勝を果たした。
2009年3月14日、イタリアで開催されたOktagonでジョルジオ・ペトロシアンと対戦。3Rまでは互角の戦いを繰り広げるも、延長Rにダウンともとれるようなスリップがあり、判定負けを喫した。
2009年4月21日、K-1 WORLD MAX 2009 FINAL16のトーナメント1回戦でリーロイ・ケスナーと対戦。1Rに2度、3Rに1度のダウンを奪い、大差の判定勝ちを収めた。
2009年7月13日、K-1 WORLD MAX 2009 FINAL8のトーナメント準々決勝でアルトゥール・キシェンコと再戦し、延長R判定勝ちを収めた。
2009年10月26日、K-1 WORLD MAX 2009 FINALに出場。準決勝でブアカーオ・ポー.プラムックに延長Rを2-1で判定勝ちするも、決勝でジョルジオ・ペトロシアンに2Rに左膝蹴りでダウンを奪われ、判定負けを喫し、準優勝となった。
2009年11月12日、大晦日での引退を表明している魔裟斗との試合が、谷川貞治K-1イベントプロデューサーより発表された。当初、魔裟斗は「今年のチャンピオンと引退試合をしたい」と語っており、世界王者のジョルジオ・ペトロシアンに魔裟斗は「大晦日空いてるかな?」「大晦日、日本で待ってるよ。」と挑戦を表明していたが、そのペトロシアンが今年の10月の山本優弥戦で、右手中指を骨折していることが判明し、サワーとの引退試合が決定した[3]。