アンテロープ・バレー
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ランカスターに近い野草の上を飛び交うカナダガン、2011年撮影 アンテロープ・バレーを通る交通量の多いカリフォルニア州道138号線に沿って東に向かうトラック。遠景にテハチャピ山地が見える

アンテロープ・バレー(: Antelope Valley)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡カーン郡南東部、およびモハーヴェ砂漠の西端に跨るバレー(川の流域を中心とした平原)である。テハチャピ山地とサンガブリエル山脈の間にある[1]

このバレーの名前は、1880年代に猟師と悪天候によって激減させられるまでこの地域を歩き回っていた偶蹄類、プロングホーン・アンテロープに因むものである。バレー内の主要都市はパームデールランカスターである。目次

1 地理

2 植物相と動物相

2.1 水の問題


3 人類の歴史

4 人口動態

5 軍事基地

6 産業

6.1 航空宇宙産業

6.2 農業

6.3 鉱業

6.4 製造業


7 教育

7.1 カレッジと大学

7.2 初等・中等教育


8 文化

9 公園

10 病院

11 交通

11.1 主要高規格道路と一般道路

11.2 鉄道

11.3 バス

11.4 空港


12 著名な住人と出身者

13 地名

13.1 人口10万人以上の都市

13.2 人口10万人以下の都市

13.3 未編入の町と地区


14 脚注

15 関連項目

16 外部リンク

地理

アンテロープ・バレーは"V"の字を斜めにしたような形をしており、モハーヴェ砂漠の西端をかすめている。モハーヴェ砂漠の東はビクター・バレーグレートベースンが開けている。サンガブリエル山脈の北に、またテハチャピ山地の南東にあり、この砂漠のある生態系はおよそ2,200平方マイル (5,698 km2) の広さがある。周辺の山岳部に降る雨がその地下水系の涵養に貢献している。
植物相と動物相 雪の中のジュシュアの木、ランカスター近くでRennett Stowe 撮影 地名の由来となったプロングホーン・アンテロープ

アンテロープ・バレーには広い種の植物や動物が生息している。ジュシュアの木、スクラブオーク、クレオソートおよびカリフォルニア・ポピーなど数百種の植物が自生している。冬には必要性の高い雨が降り、それが緩りと乾いた地面に浸透して、土着の草や花を育てている。ポピーが咲く季節は完全に雨に依存しているが、花は晩冬から早春にかけての悪天候で傷められることがある。アンテロープ・バレーの春は降雪が希ではない。これはその不安定な気象によるところが大きい。アンテロープ・バレーはこの地域で群れを成して草を食んでいたプロングホーン・アンテロープの歴史からその名を得ている。1882年から1888年だけで3万頭のアンテロープが失われた。これは生息数のほぼ半数に相当した。この頃山岳部とバレーの平野部双方に異常な大雪があり、アンテロープをバレー東部の餌場に追い出した。アンテロープは鉄道の線路を越えられなかったので、多くが飢えて死んだ。その他にもコヨーテ山猫の犠牲になったり、猟師の容易な獲物になるものがあった。かつては大群を成していたアンテロープは大半が死に絶えるか、セントラル・バレーに移動してしまった。1900年代初期の干魃によってその主食だったバンチ・グラスも希少になった。現在少数がバレー内に生息するものの、アンテロープを目視できることは希である。アメリカクロクマは2008年7月17日に目撃されているが、町の背後の丘に隠れていることを好み、餌を漁りにバレーに降りるか、洞穴に休んでいるかである。町の中に出てきたときには鎮静剤を打たれて町の外に移動させられる。ボブキャットとコヨーテはよく目撃される。コヨーテは春から夏、秋にかけて夜となく昼となく吠えることがある。砂漠の亀も希ではないが、砂漠の暑熱を避けるために巣穴に隠れていることが多い。
水の問題

アンテロープ・バレーで人が使う水は主に帯水層から汲み上げる地下水と、用水路によって他地域から誘導する水に頼っている。長期にわたって地下水を汲み上げたために地下水面を下げることになり、ポンプ揚程をあげることになって井戸の効率が下がり、地盤沈下も起こっている[2]。水路から誘導される水については農業、工業および家庭用の需要が増えており、北カリフォルニアのサクラメント・サンホアキン川デルタから水を引くことで、そのデルタ地帯にとって環境と社会の悪影響が出続けている。「長年にわたって水と動植物の生息環境を競って使うことは、このデルタがいかなる需要にも合う能力を危険に曝してきた。あらゆる関係者は三角江が問題になっており、信頼できる高品質の水供給と健全な生態系を確保する長期的な解決法を求めることに同意している。[3]

アンテロープ・バレーの急速な人口増と開発は地域の水供給に大きな歪みをもたらしている。アメリカ地質調査所のデイビッド・レイトンに拠れば、「アンテロープ・バレーにおける将来の水需要に対応するために、地下水源を過剰に利用することに関連する重大な経済と環境のコストを及ぼさない慎重な管理努力が求められている。」としている[4]
人類の歴史

アンテロープ・バレーに住んだ最初の人類は、カワイイス族[5]、キタネムク族、ソラノ族およびタタビアム族インディアンだった。このバレーにヨーロッパ人が最初に入ってきたのは北アメリカの植民地化が進んだ1770年代のことだった。スペインフランシスコ会修道士フランシスコ・ガルセス神父が1776年にこのバレーの西端を旅したと考えられている。1808年までに侵略者達はバレーからインディアンを追い出し、あるいは改宗させた[6]

ジェデディア・スミスが1827年にこの地を通り、ジョン・C・フレモントは他のカリフォルニア探検を行った1844年に科学的観察を行った。


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