アンソニー・ボーディン
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アンソニー・ボーディン
2014年
生誕アンソニー・マイケル・ボーディン
アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク市
死没 (2018-06-08) 2018年6月8日(61歳没)
フランス
オー=ラン県ケゼルスベール
死因首吊り自殺
教育ヴァッサー大学
カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ
活動拠点 アメリカ合衆国
ニュージャージー州レオニア
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アンソニー・ボーデイン(Anthony Michael Bourdain, 1956年6月25日 - 2018年6月8日)は、アメリカ合衆国シェフ作家、番組司会者である。愛称は"トニー"。著書に『シェフの災難』、『キッチン・コンフィデンシャル』、『アペティート・クックブック』等がある。
経歴

ニューヨーク市にて出生し、ニュージャージー州レオニアにて育つ。第一次世界大戦後にフランスから父方の祖父がニューヨーク市に移住してきたため、フランス系と母方のユダヤ系の血筋を持つ[1][2]。父親はカメラ店のセールスマンとレコード店のフロアマネージャーの兼業だったが、後にコロンビア・レコードの重役となった[3]。母親はニューヨークタイムズの編集者として何年か働いていたことがある[4]

ドワイト=イングルウッド・スクール(英語版)を1973年に卒業後、ヴァッサー大学に入学するも2年で退学。ニューヨーク市郊外にある権威ある料理学校、カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ(CIA)を1978年卒業する[5]

ケープコッドでレストランの皿洗いとして飲食業界に入った。一時はヘロインコカイン中毒にもなったが1980年代に薬物を絶ち[6]、1998年には当時人気だったマンハッタンの「ブラッスリー・レアール」の料理長となる。同店の東京支店のために来日したことがあり、この日本滞在で全く異なる新しい世界があることを知り、これが人生の転機になったと後に語っている[6]。生活費を稼ぐために1日12時間以上働くような日々を44歳まで送っていたが、料理業界の舞台裏を描いた『キッチン・コンフィデンシャル(英語版)』の成功により、一躍有名人となる[6]

以降、本の執筆のほか、テレビで帯番組を持つなど、食と旅をテーマに精力的に活躍していたが、2018年6月に番組撮影のために滞在していたフランスのホテルで自殺した[6]。2016年の番組の中で、孤独を感じ鬱状態に陥ることがあるとセラピストに語っていた[7]
私生活

マンハッタンアッパー・イースト・サイド在住。高校時代にガールフレンドのナンシー・プトコスキー(Nancy Putkoski)と1985年に結婚するも、20年ほどの結婚生活を経て2005年に離婚

アンソニーの親友で、ミシェラン3つ星レストランル・ベルナルディン(英語版)のシェフであるエリック・リパート(フランス語版、英語版)(仏語読みはリペール)の紹介にて知り合った、2人目の妻オッタヴィア・ブシア(Ottavia Busia、イタリア人、総合格闘技ファイター)との間に一人娘アリアンヌ(Ariane、2007年誕生)がいるが、結婚9年目の2016年にアンソニーの過密撮影スケジュールが理由で離婚。

その前後より、『アンソニー世界を駆ける』ローマ編の撮影中に知り合った、イタリア・ホラーの巨匠、ダリオ・アルジェントの娘で女優/映画監督のアーシア・アルジェントと交際。

またLSDを500回以上摂取したことを、Netflixの『サイケな世界?スターが語る幻覚体験?』で述べている。

2018年6月8日、『アンソニー世界を駆ける』の撮影中にフランスケゼルスベールのホテルの部屋で死亡しているのを発見された。死因はバスローブのベルトで首をつった上での自殺であった[8]。アンソニーの遺体を発見したのは、コラボレーターとして同行していた親友のエリック・リパートだった。
料理人として

『キッチン・コンフィデンシャル』によれば、ボーディンが食に目覚めたのは少年時代に家族旅行中のフランスで初めて食べた牡蠣だという。ヴァッサー大学在学中には、マサチューセッツ州プロヴィンスタウンのシーフードレストランで下働きとして働いていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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