この項目では、作家・脚本家について説明しています。アメリカのジャーナリストについては「en:Tony Horwitz
」をご覧ください。アンソニー・ホロヴィッツ
Anthony Horowitz
誕生アンソニー・ジョン・ホロヴィッツ
(Anthony John Horowitz)
(1955-04-05) 1955年4月5日(69歳)[1]
ロンドン・パディントン
職業小説家、脚本家、児童文学作家
言語英語
国籍 イギリス
活動期間1979年 -
ジャンル冒険小説、推理小説、スリラー、ホラー、ファンタジー
代表作小説
女王陛下の少年スパイ! アレックス
"The Power of Five"
ダイヤモンド・ブラザーズ脚本
名探偵ポワロ
バーナビー警部
刑事フォイル
デビュー作"The Sinister Secret of Frederick K Bower"
配偶者ジル・グリーン(1988年 - )
子供2人
公式サイト ⇒www.anthonyhorowitz.com
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示
アンソニー・ホロヴィッツ(ホロウィッツ、Anthony Horowitz、CBE、1955年4月5日 - )は、イギリスの小説家、推理・サスペンスドラマの脚本家。ヤングアダルト向けの代表作に「ダイヤモンド・ブラザーズ」、「女王陛下の少年スパイ! アレックス」、"The Power of Five" など。一般小説の代表作に"Mindgame" (2001年)、シャーロック・ホームズシリーズの『絹の家』(2011年)、『モリアーティ』(2014年)など。イアン・フレミング財団からジェームズ・ボンドシリーズの新作『007 逆襲のトリガー』(原題:Trigger Mortis )の著者に選ばれた。ITVの『名探偵ポワロ』や『バーナビー警部』などのテレビドラマの脚本も手広く手掛けており、他にも『刑事フォイル』や"Collision" 、"Injustice" の筆頭脚本家を務めるとともに製作から携わっている。
生い立ちホロヴィッツが通っていたラグビー校
1955年、ロンドン・パディントンの裕福なユダヤ人の家庭に生まれ、幼少期はアッパーミドルクラスの生活を送る[2][3][4]。子供の頃は太っていたこともあり、良い思いはせず、父の書斎から本を持ってきては読みふけっていた。8歳の時、ミドルセックス・ハーロウのボーディング・スクール、オーリー・ファーム・スクールに送られ、仲間たちに自分が読んだ本の話を聞かせることを楽しんだ[2]。校長先生からよく叩かれたことを思い出しながら、当時を“ひどい時期”だったと振り返る[4][5]。13歳になると、ラグビー校へ入学、書くことの楽しさに出会う[6]。
『フランケンシュタイン』や『吸血鬼ドラキュラ』を教えてくれた母は、13歳の誕生日に頭蓋骨をプレゼントしてくれたといい、そんな母のことが大好きだった。物書きになりたいと思うようになったのは8歳の時で、書いている時にすごく楽しいと気付いた時だった[2]。1977年、英文学と美術史の学位を取得してヨーク大学を卒業、英文学の成績は下から2番目のクラスだった[7]。
あるインタビューでは、H・P・ラヴクラフトの作品に登場する架空の書物『ネクロノミコン』を実在すると思っていたと語っている[8]。
父親は元首相のハロルド・ウィルソンら政治家たちや、実業家のエリック・ミラーらと関係があった[9]。破産した父は資産をスイス銀行に移したが、父はアンソニーが22歳の時に癌で亡くなり、一家は資産の行方が分からなくなってしまった[4]。
1988年4月15日に、香港でジル・グリーンと結婚し、現在はロンドン市内に暮らしている。妻ジルはアンソニーが脚本を書いているITVの『刑事フォイル』のプロデュースをした。夫妻には2人の息子がおり、1989年に長男ニコラス・マークが、1991年に次男カシアン・ジェームズが生まれている。作品のアイディアやリサーチにも協力してくれ、成功したのは家族のおかげとも思っている。子供を守るチャリティ団体キッドスケープを後援している[10]。 1979年に上梓した処女作"The Sinister Secret of Frederick K Bower" (後に"Enter Frederick K Bower" と改題)は子供向けのユーモアな冒険小説だった[11]。1981年に第2作"Misha, the Magician and the Mysterious Amulet" を刊行すると、3作目の執筆のためにパリへ越した[12]。1983年、Pentagram シリーズの第1作"The Devil's Door-Bell" を刊行。これは、マーティン・ホプキンスが世界を脅かす古代の魔物と戦うというストーリーだった。その後、1986年までにシリーズの残り3作、"The Night of the Scorpion" (1984) 、"The Silver Citadel" (1986) 、"Day of the Dragon" (1986) が書かれた。1985年、世界中の神話や伝説を子供向けに書いた"Myths and Legends" を刊行。 こういった作品を書きながら、伝説上のキャラクターに興味を持ち、リチャード・カーペンター
作家としてのキャリア
1979年から現在まで
1988年に上梓した"Groosham Grange" で、翌1989年に児童文学賞、ランカシャー・ブック・オブ・ザ・イヤーを受賞[13]。ホロヴィッツ自身がボーディング・スクールで過ごした日々を基に描いた作品である。主人公は特別な力を持つ13歳の魔法使いデヴィッド・エリオットで、著者の幸せではなかった幼少期が反映されている。これ以前に書かれた作品より、年少者向けの作品である。
同じ頃には他に、"Adventurer" (1987) や"Starting Out" (1990) なども刊行されていたが、この頃に出た作品で最も有名になったのがダイヤモンド・ブラザーズ(英語版)の第1作『ダイヤモンド・ブラザーズ〈ケース1〉危険なチョコボール』(原題:The Falcon's Malteser )で、1989年に『プライベート・アイズ/100カラットの報酬』(原題:"Just Ask for Diamond" )のタイトルで映画化された(日本未公開)。コリン・デイルとダーシュレイ・マクリンデンが主人公の兄弟、ニック&ティムを演じ、他にビル・パターソンやスザンナ・ヨーク、ジミー・ネイルらが出演した。1987年にシリーズ第2作"Public Enemy Number Two" 、1991年に第3作"South by South East" 以後、中短編集1冊と長編1冊が刊行された。 1990年代には多くの単独小説を執筆した。
1994年から現在まで