(国旗)(イングランド王室紋章)
1189年前後のアンジュー帝国の版図
公用語古フランス語、ラテン語、ノルマン語、アングロ=ノルマン語、中英語、ガスコーニュ語、バスク語、中期ウェールズ語、ブルトン語、コーンウォール語、中期アイルランド語、カンブリア語、ツァルファティート
宗教カトリック
首都なし
国王、公爵、伯爵、封建領主
1154年 - 1189年ヘンリー2世
1189年 - 1199年リチャード1世
1199年 - 1216年ジョン
1216年 - 1259年ヘンリー3世
変遷
ヘンリー2世がイングランド王即位1154年10月25日
ブーヴィーヌの戦い1214年7月27日
パリ条約1259年12月4日
通貨リーブル、銀ペニー、金ペニー
現在 フランス
ガーンジー
アイルランド
ジャージー
イギリス
アンジュー帝国(アンジューていこく、英語: Angevin Empire(アンジェヴィン・エンパイア)、フランス語: Empire Plantagenet)は、プランタジネット家(アンジュー家)によって統治された領域の通称である。アンジュ帝国とも表記する[2]。正式な国号ではないが、12世紀から13世紀にかけてプランタジネット家が統治した、ピレネー山脈から現在のアイルランド共和国に至る広大な領土は後世に帝国と形容された[3]。
プランタジネット家は最盛期にはフランス王国の西半分、イングランド王国全土、アイルランド全土(名目上)に勢力を拡張した。しかし、フランス国王フィリップ2世との抗争に敗れたことにより、アンジュー、ノルマンディー等のヨーロッパ大陸の領土の大半を喪失した。この敗北によって、プランタジネット家が大陸に保有する領土はガスコーニュのみとなり、百年戦争の遠因となった。 アンジュー帝国とは、ヘンリー2世とその息子であるリチャード1世、ジョンといったプランタジネット朝の君主が支配した領域を指すものとして近代に作られた歴史用語である。ヘンリー2世の別の息子であるジョフロワ2世はブルターニュを統治して分家を築いた。歴史家が知る限りでは、同時代にはアンジュー家の統治に関してはそのような言葉は用いられなかった。しかしながら、「我々の王国や万事全てがあらゆる支配に服属している」といった記述が使われた[4]。 「アンジュー帝国」という言葉は1887年にケイト・ノーゲイト
語源とその用法