アンジェ
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この項目では、フランスの都市について説明しています。その他のアンジェについては「アンジェ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

Angers


行政
フランス
地域圏 (Region) ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏
(departement) メーヌ=エ=ロワール県
(県庁所在地)
(arrondissement)アンジェ郡
小郡 (canton)8小郡庁所在地
INSEEコード49007
郵便番号49000, 49100
市長任期)クリストフ・ベシュ
2014年-2020年
自治体間連合 (fr)fr:Communaute d'agglomeration d'Angers Loire Metropole
人口動態
人口149 017人
2012年
人口密度3 490人/km2
住民の呼称Angevins, anciennement : Andegaves
地理
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯47度28分25秒 西経0度33分15秒 / 北緯47.473612度 西経0.554167度 / 47.473612; -0.554167座標: 北緯47度28分25秒 西経0度33分15秒 / 北緯47.473612度 西経0.554167度 / 47.473612; -0.554167
標高平均:20 m
最低:12 m
最高:64 m
面積42,70km2 (4 270ha)
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公式サイト ⇒Ville d'Angers
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アンジェ(Angers)は、フランス西部、メーヌ川河畔に位置するペイ・ド・ラ・ロワール地域圏メーヌ=エ=ロワール県の県庁所在地である。ここの南西部で県名に使われているメーヌ川と本流ロワール川が合流する。
地名学
語源1657年に制作されたこの銅版画では、 Andegavum Angers と呼ばれている

アンジェが初めて言及されたのは、150年頃に書かれたクラウディオス・プトレマイオスの『ゲオグラフィア』(Geographia、地理学)においてである。この本では、アンジェはユリオマグス(Juliomagus、ギリシャ語: Ιουλιομαγο?, Iouliomagos[1][2])という名前で知られており、同じ名前は『ポイティンガー図』にも見られる。この名前は、ラテン語の人名であるJulius(おそらくユリウス・カエサル(Julius Caesar)を指す)と、「市場(market)」を意味するケルト祖語のmagosの合成語である。町の名前におけるこのような献辞は、ローマ帝国時代のゴールでは一般的なものであり、地名にはガリア語の要素がしばしば残された[3]。同様の献辞は、同じ時代のパリトゥールエヴルーの名前にも見られる[4]。後にその他のユリオマグスと区別する必要が出てくると、アンジェやその周辺の地域で最も勢力のあるガリア部族の名前から、Juliomagus Andecavorum (アンデス族のユリオマグス)と呼ばれるようになった[5]

400年頃になると、civitas Andecavorum (アンデス族の都市(キウィタス))と呼ばれるようになり、中世を通して、後期ラテン語の名前は少しずつ現代のものに変化していった。Andecava civitas (6世紀)、Andecavis (769年)[1]、Andegavis (861年?882年)、Angieus (1127年)、そしてAngeus (1205年)へと変化した。12世紀の間にAngiersの形が現れ[6]、この綴が後にAngersと縮められた。

ラテン語のAndecavumからはアンジュー(Anjou)という名前も派生した。このように同じ語から語が二重に派生することはフランスでは非常に一般的であり、ポワチエポワトゥーや、ブールジュベリーなどにも同様の派生が見られる。
歴史

アンジェに最初に人が存在した形跡があるのは、40万年前の石器時代である。身元のわかっている最も古い居住者は、ケルトの種族であるアンデス族(英語版)であった。彼らはローマ人に追い払われた。ローマ支配の下、街はユリオマグスと呼ばれた。

アンジェ会議が453年に開催された。845年から始まったノルマン人の侵攻により街は大いに苦しめられた。

アンジェは、昔のアンジュー州の都であった。9世紀が始まると、この地域は強大な封建君主の一族によって支配された。アンジェ地域は12世紀にイングランドを支配したプランタジネット朝アンジュー帝国)の発祥地である。この時期、ヘンリー2世によってアンジェにサン=ジャン病院が建設された。大型の建物もこの時に建てられた。1204年、アンジェはフランス王フィリップ2世に征服された。この後、フランス王家の傍流が封じられた。ここからはナポリ王国シチリア王国)・ハンガリー王国ポーランド王国の王が出ている。

アヴリレカントネ=エピナールエクフラン
ボークゼサン=バルテルミ=ダンジュー、トレラゼ
   アンジェ   

ブシュメーヌサント=ジャンム=シュル=ロワールレ・ポン=ド=セ

[7]

第二次世界大戦中の1940年、短い期間ではあるが、ポーランド亡命政府の拠点だった。
アンジェ城

町の中心部にあるアンジェ城は、ロワール古城のうち、最も西に位置する。フランスに現存するものでは最古といわれる、『ヨハネの黙示録』が描かれたタペストリーで知られる。
教育

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アンジェ大学法学部・経済学部・管理学部 (la Faculte de droit, d'economie et de gestion)

西カトリック大学 (Universite Catholique de l'Ouest)

大学等

INHP(国立園芸景観学院ないし研究所, Institut national d'horticulture et de paysage)- エコール・デ・ペイサージュの一校。国立。1874年創立の国立高等園芸学校(エコール・ナショナル・シュペリウール・ドリクチュール, ENSH)を1995年に改組し、景観(ペイザージュ)・造園課程をヴェルサイユに残し、主に園芸・植物学課程をアンジェに移転した。「エコール・デ・ペイサージュ」は、パリ市内パリ20区バニョレ通り49番地にもある。

アンジェ大学 (Universite d'Angers) - 1337年設立のいわゆる中世大学群に属するが、フランス革命期にパリ大学やオルレアン大学 (Universite d'Orleans、再開は1966年) など他の全土の大学同様廃止になった。


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