アンジェロ・ポッフォ
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アンジェロ・ポッフォ
1955年
プロフィール
リングネームアンジェロ・ポッフォ
アンディ・ポッフォ
トニー・アンジェロ
ザ・?(ザ・クエッション)
ザ・マイザー
ザ・マスクド・マイザー
カーペットバガー
本名アンジェロ・ジョン・ポッフォ
ニックネーム腹筋男[1]
身長180cm - 183cm[1]
体重102kg - 110kg[1]
誕生日1925年4月10日[2]
死亡日 (2010-03-04) 2010年3月4日(84歳没)[2]
出身地 アメリカ合衆国
イリノイ州
デュページ郡ダウナーズ・グローブ[2]
スポーツ歴野球[2]
デビュー1949年[2]
引退1985年
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アンジェロ・ポッフォ(Angelo John Poffo、1925年4月10日 - 2010年3月4日)は、アメリカ合衆国プロレスラーイリノイ州ダウナーズ・グローブ出身のイタリア系アメリカ人[2]

WWF世界ヘビー級王者 "マッチョマン" ランディ・サベージおよび "ザ・ジニアス" ラニー・ポッフォの父親であり、プロモーターやマネージャーとしても活動した[2]
来歴

シカゴのデポール大学時代は野球キャッチャーとして活躍し、アメリカ海軍に入隊後は、腹筋運動を4時間強の間に連続6033回行ったという世界記録を残した[2]1949年のデビュー後、地元のイリノイ州を中心とした中西部を主戦場に活動[2]。世界記録である "6033 の数字をコスチュームに施すなど[3]、後に息子たちも継承することになるエゴイスト系のヒールとなって活躍する。

1956年8月9日、ウィスコンシン州ミルウォーキーにてミッドウエスト・ヘビー級王座を獲得[4]1958年12月27日にはウイルバー・スナイダーからシカゴ版のNWA USヘビー級王座を奪取した[5]1961年ダラスヒューストンを拠点とするテキサスの東部地区に参戦[6]、5月12日にブロンコ・ルービッチと組んでドリー・ディクソン&ペッパー・ゴメスからNWAテキサス・タッグ王座を奪取している[7]

その後、1964年よりインディアナ州インディアナポリスWWAに登場。初代ニコライ・ボルコフ[8]と組み、7月31日にスナイダー&ディック・ザ・ブルーザーを破ってWWA世界タッグ王座を獲得[9]1966年からはクリス・マルコフとのタッグチーム、デビルズ・デュオ(The Devil's Duo)を結成[2]"プリティ・ボーイ" ボビー・ヒーナンマネージャーに従え、翌1967年にかけてブルーザー&クラッシャー・リソワスキーを相手にWWA世界タッグ王座を巡る抗争を展開した[9]

1968年4月、日本プロレスに初来日。キラー・コワルスキージェス・オルテガフレッド・ブラッシーターザン・タイラードン・デヌーチパット・パターソンらと共に、第10回ワールドリーグ戦に「アルゼンチン代表」として出場したが、ジャイアント馬場アントニオ猪木大木金太郎吉村道明山本小鉄星野勘太郎ミツ・ヒライなど日本陣営への白星配給係となり、全敗の戦績で終わった[10]

1971年2月には、ザ・クエッション(The ?)なる覆面レスラーに変身し、AWAの提携ルートでマッドドッグ・バション&ブッチャー・バションビル・ミラーと共に国際プロレスに来日。3月2日に東京都体育館にて、前年12月のオックス・ベーカー戦で左足を骨折し欠場していたラッシャー木村の復帰戦の相手を務め、木村と金網デスマッチを行ったが敗退、試合後に覆面を剥がされ正体を晒している[11]

以降も中西部を主戦場に、ザ・シークが主宰していたデトロイトのNWAビッグタイム・レスリングでも活動。1975年1月には息子のラニー・ポッフォをパートナーに、ボボ・ブラジル&フレッド・カリーからデトロイト版のNWA世界タッグ王座を奪取している[12]


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