アンジェリーク・キジョー
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アンジェリーク・キジョー
Angelique Kidjo

基本情報
出生名Angelique Kpasseloko Hinto Hounsinou Kandjo Manta Zogbin Kidjo[1][2][3]
生誕 (1960-07-14) 1960年7月14日(63歳)
フランス領ダホメ ウィダー
ジャンルワールド、ワールド・フュージョン、ワールドビートアフロポップアフロビートレゲエジャズゴスペルラテン
職業シンガーソングライター
活動期間1982年 -
レーベルアイランド/マンゴ、ポリグラムコロムビア、Razor & Tie、429
公式サイト ⇒kidjo.com

アンジェリーク・キジョー[4](Angelique Kidjo、1960年7月14日 - )は、ベナンコトヌー出身のシンガーソングライター、および現ユニセフ親善大使。アフリカンポップ、レゲエジャズを織り交ぜた音楽をスタイルとしている。グラミー賞に4度ノミネートされ、米紙ガーディアンに「世界でもっとも啓発的な女性Top100」の内の一人として取り上げられた。英語フランス語フォン語ヨルバ語に堪能であり、国境を越えた幅広いファンがいる。

熱心な人道支援提唱者でもあり、自身もアフリカ女子教育を援助するNPO、「バトンガ・ファンデーション」(英名、Batonga Foundation)を2006年に設立した。
来歴

フォン族の父とヨルバ族の母の間に生まれ、ベナンの伝統音楽を聴いて育つ。6歳から母親の劇団でパフォーマンスを始め、伝統音楽とダンスについて理解を深めた。学校に入ってからバンドを組んで歌を始め、国営ラジオの放送からミリアム・マケバの影響を受けた。やがて母国の政情不安により、1983年パリへ移住。ジャズを学んだ後に現在も暮らしているニューヨークに落ち着いた。
ディスコグラフィ
アルバム

Pretty (1981年)

Ewa Ka Djo (Let's Dance) (1985年)

Parakou (1990年)

『ロゴゾ』 - Logozo (1991年)

『アエ』 - Aye (1994年)

Fifa (1996年)

『ヴードゥー・チャイルド』 - Oremi (1998年)

Keep On Moving: The Best of Angelique Kidjo (2001年)

『ブラック・アイヴォリー・ソウル』 - Black Ivory Soul (2002年)

『OYAYA!』 - Oyaya! (2004年)

『ジン・ジン』 - Djin Djin
(2007年)

『オヨ』 - Oyo (2010年)

Spirit Rising (2012年)

『イヴ』 - Eve (2014年)

Sings with the Orchestre Philharmonique du Luxembourg (2015年)

『リメイン・イン・ライト』 - Remain in Light (2018年)

『セリア』 - Celia (2019年)

Mother Nature (2021年)

脚注[脚注の使い方]^http://allafrica.com/stories/200905110467.html
^http://www.africatimeforpeace.com/uk/concerts_1.html
^http://rateyourmusic.com/artist/angelique_kidjo
^ 「アンジェリーク・キジョ」の表記もある。

出典

アンジェリーク・キジョー - emimusic.jp

外部リンク

アンジェリーク・キジョー公式サイト

バトンガファンデーション公式サイト

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