アンジェラ・アキ
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アンジェラ・アキ
2013年7月21日、JOIN ALIVEにて
基本情報
別名アンジー
生誕 (1977-09-15) 1977年9月15日(46歳)
出身地 日本徳島県板野郡板野町
学歴ジョージ・ワシントン大学
ジャンルポップス
職業シンガーソングライター
担当楽器ボーカル
ピアノ
活動期間2000年 - 2014年
2016年 -
レーベルVirgo Music Entertainment(2005年
エピックレコード2005年 - )
事務所VIRGO MUSIC(2004年 - 2006年
アキラニ(2007年 - )
共同作業者松岡モトキ
亀田誠治
公式サイトAngela Aki Official Web Site

アンジェラ・アキ(Angela Aki、1977年9月15日 - )は、日本女性シンガーソングライター、ジャズピアニスト。徳島県板野郡板野町出身。
来歴
デビューまで

父は日本人、母はイタリア系アメリカ人

1980年、3歳からピアノを習い始める[1]。徳島市の生光小学校に6年生まで通った後、1990年に岡山へ転居し、中学時代を過ごした。中学は私立清心女子学園・清心中学校で過ごす[2]

1992年の後半、15歳で家族とともにハワイに渡り、4年制の高校に通う。この頃、ニルヴァーナグリーン・デイの音楽に衝撃を受ける[3]。また、音楽以外にサーフィンにも打ち込んでいた。

1996年、ワシントンD.C.ジョージ・ワシントン大学に入学、政治経済学を専攻[4]。大学1年生の時にサラ・マクラクランの学園祭ライブを見に行った際、スタジアム内の1万人の聴衆がサラと1対1で向かい合っているのを感じ、自らも音楽を通じて人とつながるために生まれてきた事を確信したという[3]。その経験がきっかけとなり、本格的に音楽活動を開始。

大学卒業後、そのままワシントンで就職して歌手を目指すことになった。昼間は会社で秘書として働き、夜は9時から12時までバーやライブハウスで歌うという二重生活が続いたが、次第にその生活に疑問を持つようになった。そんな時、会社の上司に音楽に賭けてみることを勧められ、覚悟を決めた彼女は勤めていた会社を退職[5]。中華料理店でのアルバイトの傍ら、クラブやライブハウスに出演し、デモテープの作成に務める[2][6]

2003年2月、自作の曲がヤクルトのCMソングに採用される[注 1]。この楽曲提供がきっかけとなり、歌手デビューを志して26歳で日本に帰国。各地に売り込みに回ったが、年齢が足かせとなり、とりあってくれるところは無かった。しかしこの年の9月27日、椎名林檎日本武道館でのライブを見てサラ・マクラクランのライブを見た時の確信を思い出し、『自分も3年後の2006年までにこの舞台に立つ』という目標を立てることで自分を奮い立たせた[注 2][3][5][7]。その後もライブハウスを巡ったりデモ曲を約500曲作ったりと、精力的に音楽活動を続けた。

2004年、日立DVDカム「Wooo」のCMソングを担当。

2005年3月、インディーズからピアノ弾き語りミニアルバム『ONE』をリリースし、日本でのCDデビューを果たす。地道な下積み生活が関係者の目にとまり、好調だったミニアルバムのセールスも相まって、メジャーデビューが決まる。
2005年

9月14日、シングル『
HOME』でメジャーデビュー[6][8][9]

2006年

3月15日、ゲームソフト『
ファイナルファンタジーXII』の挿入歌である3枚目のシングル「Kiss Me Good-Bye」を発表。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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