アンサーソング
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アンサーソング(英語: answer song)は、既に存在する歌に対する返答として作られた歌のこと。返歌。元となる歌とは別の歌手・アーティストによるものが多いが、自身で「続編」の意味でアンサーソングを作る例も見られる。

ヒップホップにおいては、既成の曲に対する批判的な返答やdis(ディス。ディスリスペクト)に対する返答としてアンサーソングが作られることが多い。目次

1 歴史

1.1 日本


2 邦楽での主なアンサーソング

2.1 1950年代

2.2 1960年代

2.3 1970年代

2.4 1980年代

2.5 1990年代

2.6 2000年代

2.7 2010年代

2.8 2020年代


3 関連項目

4 脚注

歴史

アメリカ合衆国では、1930年代カントリー音楽においてアンサーソングの存在が確認されている。
日本

日本においては遅くとも1951年の「上海帰りのリル」(「上海リル」に対するアンサーソング)[1]までさかのぼることができる。

1969年に森あきよのドラネコのゴーゴー(「黒ネコのタンゴ」に対するアンサーソング)のジャケットには「日本初のアンサーソング」というコピーが添えられ[2]、これが発売元が大々的に「アンサーソング」と称した日本で最初のケースとされている。これ以降も歌謡曲で同様のアンサーソングが多数生まれた。

1990年代に入り、ヒップホップ音楽が日本でも隆盛になると、disに対する返答としてのアンサーソングが日本でも多数生まれた。2007年、RSPが「Lifetime Respect -女編-」(三木道三のアンサー)を、DREAMS COME TRUEが「ア・イ・シ・テ・ルのサイン ?わたしたちの未来予想図?」(自身のアンサー)をリリースしてヒットさせたことにより、アンサーソングに注目が集まった[1]
邦楽での主なアンサーソング

矢印の先がアンサーソング、根元が元となった歌。
1950年代

上海帰りのリル(
津村謙) ← 上海リル(ディック・ミネほか)[1]

1960年代

私がケメ子よ(松平ケメ子
) ← ケメ子の歌ザ・ダーツ、ザ・ジャイアンツ)[1]

ドラネコのゴーゴー(森あきよ) ← 黒ネコのタンゴ皆川おさむ[1][3]

自身によるアンサー


すみれ色の涙ジャッキー吉川とブルー・コメッツ) ← すみれ色の瞳(同)

1970年代

帰って来た港のヨーコ(エコノミック・アニマルズ) ←
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカダウン・タウン・ブギウギ・バンド[1]

アンタ私の何んなのさ!?(港のヨーコを守る会一同) ← 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)[1]

私の恋人、たいやきくん!(山本リンダ) ← およげ!たいやきくん子門真人[1]


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