アングロ=ノルマン語
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アングロ・ノルマン語

話される国イングランド
話者数?
言語系統インド・ヨーロッパ語族

イタリック語派

ロマンス語

西イタロ語

西部

ガロ・イベリア語

ガロ・ロマンス語

ガロ・レート語

オイル語

アングロ・ノルマン語









言語コード
ISO 639-3xno
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アングロ=ノルマン語(アングロ ノルマンご、Anglo-Norman language)は、かつてイングランドで用いられたロマンス語に分類される言語。
概要

1066年ノルマン・コンクエストによりイングランドにノルマンディー地方で話されていたオイル語(北フランスの言語のひとつ)の一種であるノルマン語がもちこまれて形成された[1]。アングロフレンチ(Anglo-French)とも呼ばれる[2][3]。ノルマン・コンクエスト以降、アングロ=ノルマン語がイングランドの貴族社会の言語となり、英語古英語から中英語に変化した。英語の単語の半数ほどがアングロ=ノルマン語に由来するといわれる[4]

ウィリアム征服王によるノルマン・コンクエストの時代に、ウィリアム以下ノルマンディーから北部、西部フランス出身の侵攻者が話していたのはオイル語の各方言であり、そのひとつにノルマン語があった。そのほか、西部フランスで使われていたピカルディ語の方言を話す者がいたとも考えられている。これら諸言語が融合してアングロ=ノルマン語という孤立した言語集団が形成され、12世紀から15世紀まで文章語、のちには行政語として広く用いられた。

もちろんこの時代の話し言葉の正確な状況について詳細を知るのは困難で、確実な知識が得られるのは書面語のみである。しかしアングロ=ノルマン語がノルマン貴族の話し言葉として広範囲に用いられたこと、また法廷、学校、大学などで用いられ、のちには下級貴族や勃興しつつあった町人階級の少なくとも一部で使用されたことは明らかである。13世紀から15世紀にかけて、私信や商用信がアングロ=ノルマン語で書かれており、13世紀半ば以降に作られた非母語話者向けの教材の原稿が残っていることから、貴族以外の階級でもアングロ=ノルマン語の学習に意欲的であったことがうかがえる。

アングロ=ノルマン語は最終的には英語に押され消えゆくことになるが、この時期に広く流布したことで英語の語彙に現在にまで及ぶ影響を与えた。そのため現在でもドイツ語オランダ語に見られるようなゲルマン語起源の単語は、英語では一部が失われ、多くの語ではアングロ=ノルマン語起源の類義語と共存することになった。

また、ox(単数形)とoxen(複数形)や、foot(単数形)とfeet(複数形)のような古英語的な複数形の形態よりも、アングロ=ノルマン語に由来する-sや-esが英語の複数形として主流となった[5]。他にもアングロ=ノルマン語の影響として、attorney general(司法総裁)、heir apparent(法定推定相続人)、court martial(軍法会議)、body politic(統治体)など、行政用語、法律用語の中に形容詞が名詞に後置するものが英語にはみられる[6]
アングロ=ノルマン語の使用と発達

アングロ=ノルマン語文化圏の重要な作家にはジャージー生まれの詩人ウァースと、マリー・ド・フランスがいる。ノルマン朝期の文学は、後世のノルマン語文学にとっての文学的原点とされ、特に19世紀のノルマン文芸復興のさいや、20世紀に入ってもアンドレ・デュポン『コタンタン叙事詩』において、そのような見方が顕著であった。チャンネル諸島の言語・文学もアングロ=ノルマン語、アングロ=ノルマン文学と呼ばれることがあるが、これはチャンネル諸島をフランス語で「iles anglo-normandes(アングロ=ノルマンド諸島)」と呼ぶところから生じた誤解である。チャンネル諸島で話されるのは昔も今もノルマン語の方言であってアングロ=ノルマン語ではない。

イングランドにおいてアングロ=ノルマン語が主たる行政語となることはなく、中世のほとんどの時期において法律関係をはじめとする公文書の記録に用いられたのは主にラテン語であった。しかし13世紀後半から15世紀前半にかけて、アングロ=ノルマン語は、訴訟記録、契約書、法令、公用信、さらにさまざまなレベルでの交易語として非常に重要な役割を担った。アングロ=ノルマン語を媒介して、イタリア語アラビア語スペイン語カタルーニャ語など、遠隔地域の外国語がイングランドに入りこみ、英語へ流入したことを示す証拠もある。

のちの時代の文書におけるアングロ=ノルマン語は、その後もフランス本国の言語変化を部分的に取り入れアングロ=ノルマン語としての多くの方言的特徴を失い、ためにしばしば綴りにおいて相違はあったものの、少なくともいくつかの点、いくつかの社会的状況においてフランス語の方言連続体の一部であり続けた。しかし15世紀後半までにアングロ=ノルマン語は独自の変化を遂げることになる(Law French参照)。この言語は19世紀末まで「ノルマン=フランス語」と呼ばれていたが、文献学的にはノルマン語的特徴を示すものは何もない[7]。「ノルマン=フランス語」は次第に法律、行政、商業、科学の各分野に浸透した。それらの分野で残された多くの文献から、アングロ=ノルマン語の生命力と重要さをうかがい知ることができる。

政治面に与えた注目すべき影響のひとつとして、現在もイギリスの議会での法案承認や法制化勅許の際にアングロ=ノルマン語の定型文を用いることがある[8][9]。たとえば以下のようなものがある。

Soit baille aux Communes(「庶民院に送付せしめよ」 貴族院から庶民院への法案送付時)

A ceste Bille (avecque une amendement/avecque des amendemens) les Communes sont assentus(「この法案に(修正付きにて)庶民院は同意せり」 庶民院を通過した法案の貴族院への再送付時)

A cette amendement/ces amendemens les Seigneurs sont assentus(「この修正に貴族院は同意せり」 庶民院から貴族院へ再送付された法案の修正部分が貴族院で同意されたとき)

Ceste Bille est remise aux Communes avecque une Raison/des Raisons(「この法案は理由を付し庶民院へ差し戻す」 庶民院による修正部分に貴族院が同意しなかったとき)

Le Roy/La Reyne le veult(「国王/女王そを欲す」 公法案勅許時)

Le Roy/La Reyne remercie ses bons sujets, accepte leur benevolence et ainsi le veult(「国王/女王良民の奉仕を多としかくのごとく欲す」 歳出法案勅許時)

Soit fait comme il est desire(「望まるるがままになさしめよ」 私法案勅許時)

Le Roy/La Reyne s'avisera(「国王/女王深慮せん」 勅許保留時)

これら定型文は厳密には、s'aviseraが過去にはs'uviseraやs'advisera、ReyneがRaineと綴られたように、時代により綴りに異同がある。
中世イングランドの3カ国語併用

最も古いフランス語の記録とされるものの多くは、正確にはアングロ=ノルマン語である。フランスでは、貴族階級、教育、商業、ローマ・カトリック教会で用いられる言語はラテン語であり、記録もラテン語によって行われたため、文書が日常語で書かれることはほとんどなかった。イングランドでもラテン語は1066年のノルマン・コンクエスト以前からアングロ=サクソン語と併用されていたが、中世においてもラテン語が消失することはなく、教会、王朝、地方行政の多くでラテン語が用いられた。

13世紀半ばにフランスでフランス語を書面語に用いる動きが起こったが、同じ頃イングランドでもアングロ=ノルマン語が主たる書面語になった。この頃からアングロ=ノルマン語に変種が目立ちはじめ、非常に地域化したものから、パリのフランス語と近似した、場合によっては見分けがつかないレベルのものまで多様化した。


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