アンカラ
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この項目では、トルコの都市について説明しています。小惑星については「アンカラ (小惑星)」をご覧ください。

アンカラ
Ankara

県・大都市
アンカラ県/アンカラ大都市
Ankara ili/Ankara Buyuk?ehir
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各県図におけるアンカラ県の位置
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トルコ
地方中央アナトリア地方
県・大都市アンカラ県
政府
 ? 種別県・大都市
 ? 県知事ヴァシップ・サヒン(英語版)
 ? 大都市市長マンスール・ヤヴァシュ(英語版)
面積
 ? 合計24,521 km2
標高938 m
人口(2020年)
 ? 合計5,663,322[1]
 ? 密度230人/km2
等時帯UTC+3 (TRT)
郵便番号06xxx
市外局番1
ナンバープレート06
ウェブサイト ⇒www.ankara.gov.tr(アンカラ県庁)
www.ankara.bel.tr(アンカラ大都市市役所)

アンカラ(Ankara、[?a?.ka.?a] ( 音声ファイル))は、トルコ共和国首都中央アナトリア地方に位置する大都市自治体であり、2012年の行政区画改編によりアンカラ県とは同一の範囲となっている[2]

人口約500万人を抱え、イスタンブールに次ぐ同国第2の都市。中東西アジア有数の世界都市である。
概要

都市の主要部分はウルス (Ulus) と呼ばれるオスマン帝国時代以前からの歴史的旧市街と、1920年代以降にトルコ共和国政府によってその南にイェニシェヒル (Yeni?ehir) という名で計画的に建設された新市街、およびその郊外地区からなり、政府の施設はイェニシェヒルに集中している。

市街は政府の計画に沿って建設が進められたが、郊外地区は第二次世界大戦後の経済発展の都市集中に伴ってアンカラに流入してきた人々が建てたゲジェコンドゥと呼ばれる不法占拠住宅によって無秩序かつ急速に拡大した部分も大きい。

1980年代以降は地下鉄など交通網の整備が進められた郊外に大規模な団地、ニュータウンが建設され、都市の膨張は進展しつづけている。アンカラの衛星写真
歴史詳細は「アンカラの歴史(英語版)」を参照

古代ヒッタイト時代から人類が居住していた跡が残っているが、プリュギア時代に規模が拡大したアンキューラ (Ancyra) と呼ばれた都市が、現在のアンカラ旧市街の始まりである。アンカラに残る古代ローマの公衆浴場

アンキューラは紀元前189年ローマ帝国に占領されてアンゴラ (Angora) の名で知られるようになる。ローマ人は、アンゴラをローマ都市として整備するため、大劇場、大浴場、アウグストゥスを祀る神殿、ユリアヌスの来訪を記念する円柱などを建てた。それらは、アンカラとなった現在も遺跡として残っている。東ローマ帝国のもとでキリスト教が広まり、現在も残る城塞が築かれた。またテマ(軍管区)・オプティマトンの首府となるなど、アナトリア中部における帝国の地方行政・軍事の拠点都市となった。

このため度々イスラーム勢力の侵攻を受け、806年にはアッバース朝カリフハールーン・アッ=ラシードが自ら軍を率いてアンゴラを包囲するということも起こっている。アンゴラは、1073年ムスリム(イスラム教徒)のセルジューク朝によって占領され、トルコ人によってアンカラと呼ばれるようになった。

1101年には1101年の十字軍としてやってきたトゥールーズ伯レーモン4世がアンカラを占領している。セルジューク朝がレーモン4世の軍を撃退した後、アンカラはセルジューク系のアミールであるダーニシュマンド家の政権やルーム・セルジューク朝、さらにはモンゴル政権であるイルハン朝の支配を受けた。

アンカラは1356年オスマン朝オルハンによって占領され(ムラト1世の時代という説もある)、以降はオスマン帝国領となるが、1402年にはこの町の近郊でオスマン朝のバヤズィト1世中央アジアから来攻したティムールに敗れ、オスマン朝は10年間に及ぶ分裂期を迎えた(アンカラの戦い)。

オスマン帝国時代のアンカラはアナドル州に属するアンカラ県の県都であったが、17世紀初頭にアナトリアで発生した大規模反乱であるジェラーリーの反乱(英語版)の際には反乱側に落ち、その中心地となった。また、オスマン帝国時代には特産であるアンゴラヤギの毛を用いたモヘヤ生産の発展もみられたが、19世紀に入るとイギリスがアンゴラヤギの飼育に成功したこともあり、市場での独占性が薄れ毛織物工業は衰退に向かった。

1864年には行政区画の改変によりアンカラ州の州都となり、1892年にはアナトリア鉄道(英語版)(CFOA、トランス・アナトリア鉄道(英語版))が開通してイスタンブールエスキシェヒルと結ばれたが、全体としてはアンカラは地方の小都市であり、20世紀初頭の1919年においても人口は2万5000人ほどであった。アンカラを行進するトルコ軍(1922年)

第一次世界大戦終結後、戦勝国によりオスマン帝国の分割が進められ、さらにギリシャによってアナトリア西南部が占領されると、アンカラにも英仏軍が進駐してきたが、1920年にこれに反対して決起したトルコ人たちの抵抗政権がアンカラに樹立され、ムスタファ・ケマルがその指導者となってギリシャ軍をアナトリアから撤退させることに成功した。


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