この記事は「新馬齢表記」で統一されています。詳しくは馬齢#日本における馬齢表記を参照してください。
アローキャリー[1]
欧字表記Arrow Carry[1]
品種サラブレッド[1]
性別牝[1]
毛色鹿毛[1]
生誕1999年3月1日[1]
死没2006年1月5日(7歳没)[2]
父ラストタイクーン[1]
母アロールーシー[1]
母の父サンキリコ[1]
生国 日本(北海道静内町)[1]
生産者矢野牧場[1]
馬主矢野秀春[1]
調教師北川數男(北海道)[3]
→山内研二(栗東)[1]
競走成績
生涯成績16戦3勝[1]
獲得賞金1億6970万5000円[1]
勝ち鞍
アローキャリー(欧字名:Arrow Carry、1999年3月1日 - 2006年1月5日)は、日本の競走馬、繁殖牝馬[1]。
主な勝ち鞍は、2002年の桜花賞(GI)。 母アロールーシーは、1991年に北海道静内町の矢野牧場で生産されたサンキリコの産駒[4]。美浦トレーニングセンターの新関力厩舎にて競走馬デビューし、桐花賞(500万円以下)など5戦2勝を挙げた[4]。引退後は、生まれ故郷の矢野牧場で繁殖牝馬となり、1996年に初仔を生産[5]。1999年、4年目の種付けでは、矢野牧場主である矢野秀春が主導するジェイエスが仲介を担当し、リース種牡馬として日本に来ていたラストタイクーンと交配した[6]。 1999年3月1日、アロールーシーの3番仔として鹿毛の牝馬(後のアローキャリー)が誕生[1]。牧場での仔は、矢野によれば「当歳の頃の印象といっても、特に記憶に残るようなことはなかったなあ[6]」と振り返っている。仔は、ラストタイクーンに内国産馬の牝系、そして牝馬であるために、セリに出場させても買い手がつかないと考えて、矢野自身が所有した[6]。芝向きの血統ゆえに、将来的に芝の多い日本中央競馬会(JRA)の競走に出走させたかったが[6]、まずは、ホッカイドウ競馬の北川數男厩舎に入厩。当時存続の危機にあったホッカイドウ競馬の救援や、JRAよりも劣る相手のために楽に勝ち上がれると考えたためであった[6]。 2001年5月9日、札幌競馬場のフレッシュチャレンジでデビューし2着。2戦目のフレッシュチャレンジで初勝利を挙げJRA認定馬となる。その後札幌、旭川競馬場での2戦は、いずれも3着敗退[7]。続いてホッカイドウ所属の身で、JRA開催の札幌競馬場・2歳500万円以下(芝1000メートル)に出走。後方に3馬身半差をつけて2勝目、走破タイム57.2秒は、札幌芝1000mの2歳コースレコードであった[8][9]。旭川競馬場の重賞・フローラルカップは1番人気に支持されるも13着敗退、再びJRAに参戦したすずらん賞では、初めてJRA所属馬と戦い3着となった[9]。 その後は、JRAに移籍し、栗東トレーニングセンターの山内研二厩舎に転厩[9]。12月2日、阪神ジュベナイルフィリーズ(GI)に参戦。短期免許で来日中のキーレン・ファロンが騎乗した。逃げたが、直線でタムロチェリーに半馬身かわされ2着となった[10]。そこから中1週で出走したフェアリーステークス(GIII)では1番人気に推されたが、4着[10]。 3歳となった2002年は、エルフィンステークス(OP)から始動し2着したが、続くアネモネステークス(OP)は8着に敗れた[7]。 4月7日、桜花賞(GI)に出走、山内は、レース1週間前に池添謙一に騎乗依頼を行った[11]。同じ山内厩舎からは、フィリーズレビュー(GII)を制したサクセスビューティが出走しており、山内は池添に対し、これまでの逃げ作戦ではなく「サクセスビューティの後ろについていけ[9]」と指示。当日は、サクセスビューティが単勝3番人気、アローキャリーは13番人気だった[9]。
生涯
デビューまで
競走馬時代