アロンソ・ムダーラ
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル クラシック音楽

アロンソ・ムダーラ(Alonso Mudarra, 1510年ごろ - 1580年4月1日)は、スペインルネサンス音楽作曲家ビウエラのための楽曲で知られるが、世俗歌曲の作曲家でもある。記録に残るうちでは、ギター曲を最初に出版した人物でもあった。

生地に就いては不明であるが、グアダラハラに育ち、おそらく同地で最初の音楽教育を受けた。カール5世の随行員としてインファンタード侯イーニゴ・ロペス・デ・メンドーサの一行に加わり、おそらく1529年イタリアに行った。スペインに戻って司祭叙階され、1546年セビリャ大聖堂で聖職者として地位を得ると、残りの生涯をその地で送った。セビリャ大聖堂での任務中に、すべての音楽活動を監督している。多くの記録は、そこでの彼の音楽活動については多くの記録が残っており、演奏家を雇ったり、新しいオルガンを調達して購入したり、様々な行事のためにフランシスコ・ゲレーロと手を組んで活動した。セビリャにて他界。残されたかなりの遺産は、遺志によってセビリャの街の貧民救済に使われた。

ビウエラや4コースギターのためにおびただしい数の作品を作曲し、主要な曲集は『ビウエラ用に記譜された3冊の曲集 Tres libros de musica en cifras para vihuela』と題されている(1546年12月7日刊行)。これら3巻は、ギター曲集の出版譜の嚆矢でもあった。ギター自体も当時は比較的に新しい楽器だったのである。この出版譜には、ファンタジア主題と変奏(「ラ・フォリア」含む)、ティエントパバン、ガリアルダのような作品が載っている。ムダーラによるラテン語カスティーリャ語イタリア語歌曲には、ロマンセ、カンシオン、ヴィリャンシーコ、ソネットがある。またムダーラは、いくつかの速度記号(遅く、中庸に、速く)を初めて使い分けた作曲家でもあった。

典拠管理データベース
全般

FAST

2


ISNI

VIAF

WorldCat

国立図書館

ノルウェー

スペイン

フランス

BnF data

ドイツ

イタリア

イスラエル

フィンランド

ベルギー

アメリカ

ラトビア

チェコ

オーストラリア

ギリシャ

クロアチア

オランダ

ポーランド

ポルトガル

バチカン

芸術家

MusicBrainz

人物

Trove(オーストラリア)

1


その他

RISM

SNAC

IdRef


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:6203 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef