アレホ・カルペンティエル
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アレホ・カルペンティエル
Alejo Carpentier y Valmont

誕生1904年12月26日
スイスローザンヌ
死没1980年4月24日
フランスパリ
職業ジャーナリスト作家
国籍 キューバ
主題小説音楽評論
文学活動魔術的リアリズム
代表作『この世の王国』
主な受賞歴セルバンテス賞(1977)
デビュー作『エクエ・ヤンバ・オ』
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アレホ・カルペンティエル(アレッホ・カルペンティエール、Alejo Carpentier y Valmont, 1904年12月26日 - 1980年4月24日)はキューバジャーナリスト小説家音楽評論家。20世紀のラテンアメリカ文学に大きな影響を与えた。
生涯

1904年、スイスローザンヌに生まれる(長い間、彼の出生直後に転居したハバナ生まれと思われていたが、彼の死後に出生証明書がスイスで発見された)。母はロシア語の教授、父はフランスの建築家だった。12歳時にパリへ転居し、音楽理論に傾倒した。キューバ帰国後はハバナ大学建築学を学んだ。やがて左翼ジャーナリストになり、独裁者ヘラルド・マチャードを非難し若干の刑期を過ごす。

1928年、フランス亡命後は、アンドレ・ブルトンポール・エリュアールルイ・アラゴンジャック・プレヴェールアントナン・アルトーシュールレアリスムの作家たちと交友。1933年、処女作『エクエ・ヤンバ・オ』を刊行。フランス滞在時にスペインを何度か訪問し、バロックに対する興味を高めた。帰国後はジャーナリストとして活躍。ブードゥー教の儀式に出席し、アフロ・キューバン主義に関心を持った。パリ滞在中には画家の藤田嗣治と親交を結び、1931年に藤田夫妻をキューバに招待。その際、藤田は盗難に会うが、作品を描き、チャリティーを行なって旅費を稼いだといわれている。

1943年に演出家ルイ・ジューヴェとともにハイチを訪れ、19世紀の黒人王アンリ・クリストフの建てたシタデル・ラ・フェリエールの砦とサン=スーシ宮殿を見学。このときオスヴァルト・シュペングラーの著作を読み、その循環史観から『この世の王国』(1949年)の着想を得た。1945年からフルヘンシオ・バティスタ独裁政権の干渉を受けてベネズエラに在住。キューバ革命後の1959年に帰国し、フィデル・カストロ政権の元、文化活動のリーダーとして大御所的存在となる。1968年以降、文化担当官としてパリに在住。1978年にはスペイン語圏最高の文学賞であるセルバンテス賞を受賞。1980年4月24日にパリで逝去。2000年にキューバで彼の名を冠したカルペンティエル文学賞が創設された。
作品

魔術的リアリズムの旗手として、ハイチの黒人奴隷の反乱(ハイチ革命)を描いた『この世の王国(英語版)』(1949年)や、近代から未開へと時間が逆行する不思議な音楽家の旅を描いた『失われた足跡』(1953年)で世界的な名声を得る。このほか、『光の世紀』(1962年)、『バロック協奏曲』(1974年)、『春の祭典』(1978年)、『ハープと影』(1979年)など多くの作品を残し、ホルヘ・ルイス・ボルヘスミゲル・アンヘル・アストゥリアスらと並ぶ現代ラテンアメリカ文学の先駆的な役割を果たした。

音楽への造詣も深く、『キューバの音楽』(1946年)という評論があるが、日本では未刊。
日本語訳

『この世の王国』(
神代修訳、創土社、1974年)

『時との戦い』(鼓直訳、国書刊行会、1977年)/ 鼓直・寺尾隆吉訳(増補版)、水声社、2020年

『失われた足跡』(牛島信明訳、集英社、1978年)/ 集英社文庫、1994年。岩波文庫、2014年

『バロック協奏曲』(鼓直訳、サンリオ文庫、1979年)/ 水声社、2017年

『ハープと影』(牛島信明訳、新潮社、1984年)

『この世の王国』(木村栄一・平田渡訳、サンリオ文庫、1985年)/ 水声社、1992年

『光の世紀』(杉浦勉訳、水声社、1990年)

『追跡』(杉浦勉訳、水声社、1993年)

『春の祭典』(柳原孝敦訳、国書刊行会文学の冒険、2001年)

『エクエ・ヤンバ・オー』(平田渡訳、関西大学出版部、2002年)/ 水声社、叢書フィクションの楽しみ、2021年


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