アレハンドロ・ホドロフスキー
Alejandro Jodorowsky
本名Alexandro Jodorowsky Prullansky
生年月日 (1929-02-17) 1929年2月17日(95歳)
出生地 チリ、トコピジャ
国籍 チリ フランス
職業映画監督
ジャンル映画
活動期間1957年 - 1990年
2013年 -
公式サイト ⇒日本語オフィシャルサイト
主な作品
『エル・トポ』
『ホーリー・マウンテン』
『サンタ・サングレ/聖なる血』
受賞
ロカルノ国際映画祭
名誉金豹賞
2016年
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アレハンドロ・ホドロフスキー・プルジャンスキー(西:Alexandro Jodorowsky Prullansky, 英:Alejandro Jodorowsky Prullansky, 1929年2月17日 - )は、チリ出身の映画監督、演出家、詩人、俳優、作家、バンド・デシネ作家。タロット占いの専門家でもある。 1929年2月17日、チリのボリビア国境近くの町トコピジャでロシア系ユダヤ人の子として生まれた。12歳の時にサンティアゴへ移住。サンティアゴ大学で心理学と哲学を学んでいたが、マルセル・カルネの『天井桟敷の人々』(1945年)に感銘を受け、パントマイムにのめり込んで大学を中退した。その後は単身パリに渡り、放浪生活を送るようになった。その後、同地で知り合ったマルセル・マルソーとメキシコシティへ渡り、100本以上の芝居を演出した。 1957年、トーマス・マン原作の短編『LA CRAVATE』を製作し、映画監督としてデビュー。同作はジャン・コクトーに絶賛された。その後、1960年代中頃にパリで作家・映画監督のフェルナンド・アラバール
来歴
1970年、代表作となった『エル・トポ』を発表。しかし、初上映の際にコロムビアやユナイトといったメジャー系の配給会社から断られ、音楽プロデューサーのアラン・ダグラスによりエル・ジンというスペイン語圏の映画を扱うミニシアター系の劇場での深夜上映が決定した。翌1971年1月1日に封切られた同作は大ヒットし、ジョン・レノンやアンディ・ウォーホル、ミック・ジャガーなどから絶賛された。現在ではカルト映画の一つとして位置づけられている。1973年の『ホーリー・マウンテン』は同年11月から翌1975年4月まで続くロングランを達成した。
1975年にはSF大作『デューン』の製作に着手。メカデザインにSF画家のクリス・フォス(英語版)、クリーチャーとキャラクターのデザインと絵コンテにバンド・デシネのカリスマ作家メビウス、特撮担当にダン・オバノン、悪役ハルコンネン男爵の城のデザインにH・R・ギーガーを起用。キャストもハルコンネン役にオーソン・ウェルズ、皇帝役にはサルバドール・ダリ、他にもミック・ジャガーやデビッド・キャラダインなどがキャスティングされた。また、音楽をピンク・フロイドやマグマが製作するなど、各界から一流のメンバーが集められた。しかし、1年間の作業の後、配給元が決まらず、企画は中止された[1]。なお、同小説の映画化としてデイヴィッド・リンチが1984年に『デューン/砂の惑星』を発表した。