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出典検索?: "アレハンドロ・ダミアン・ドミンゲス"
アレハンドロ・ドミンゲス
オリンピアコス時代(2015年)
名前
本名アレハンドロ・ダミアン・ドミンゲス
Alejandro Damian Dominguez
愛称Chori
ラテン文字Alejandro DOMINGUEZ
基本情報
国籍 アルゼンチン
イタリア
生年月日 (1981-06-10) 1981年6月10日(42歳)
出身地キルメス
身長175cm
体重71kg
選手情報
ポジションMF (OMF)
利き足右足
クラブ1
年クラブ出場(得点)
2000-2001 キルメス 25 (6)
2001-2004 リーベル・プレート 69 (29)
2004-2007 ルビン・カザン 63 (21)
2007-2009 ゼニト 46 (7)
2009-2010 ルビン・カザン 23 (16)
2010-2012 バレンシア 22 (1)
2011-2012→ リーベル・プレート (loan) 33 (5)
2012-2013 ラージョ・バジェカーノ 33 (5)
2013-2017 オリンピアコス 82 (28)
2017-2018 ラージョ・バジェカーノ 19 (2)
通算375 (99)
代表歴
2003 アルゼンチン1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
アレハンドロ・ダミアン・ドミンゲス(Alejandro Damian Dominguez, 1981年6月10日 - )は、アルゼンチン・キルメス出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 アルゼンチン国内では、CAリーベル・プレートなどでプレー。2001 FIFAワールドユース選手権では、ハビエル・サビオラ、アンドレス・ダレッサンドロを擁したU-20代表の一員として、優勝を経験している。2004年、FCルビン・カザンへ加入。2005年と2006年にはコパ・ラ・マンガ制覇に貢献し、ドミンゲス自身も2006年シーズンのロシア・プレミアリーグ最優秀外国人選手賞に輝いた。2007年、当時の移籍金で最高金額となる700万ユーロでFCゼニト・サンクトペテルブルクへ移籍。ゼニトでは主に右ウイングとして活躍し、ドミンゲスの最大のハイライトは、UEFAカップのFCバイエルン・ミュンヘン戦(2nd leg)で得点を挙げ、4-0と大金星を成し遂げたことだった。しかし、2009年に入ると、ディック・アドフォカート監督との確執が囁かれ、同年3月12日に古巣ルビンへ復帰することとなった。ルビンではセンターフォワード並びに攻撃的MFとしてプレーしている。夏場には6試合連続でPKによる得点を決め、得点ランキング上位を維持し、ルビン・カザンの優勝に貢献した。9月29日、UEFAチャンピオンズリーグ第2節のインテル・ミラノ戦ではルシオとワルテル・サムエルを交わして角度のないところからシュートを決め、その後もきわどいFKや鋭いクロスで相手ゴールを脅かした。 2009年12月、ルビン・カザンとの契約が終了し、またルビン・カザンがチャンピオンズリーグで敗退したため移籍を希望。ユヴェントスFCやASローマなどが関心を持ったが、本人の熱望したリーガ・エスパニョーラのバレンシアCFへ移籍した。 しかしバレンシアでは怪我の影響もあってか不本意な日々を送り、2011年5月には自身のTwitterで、リーガ・エスパニョーラ優勝ではなくUEFAチャンピオンズリーグ出場を目標とするクラブに皮肉を浴びせた。 同年8月、クラブ史上初のプリメーラB・ナシオナル(2部リーグに相当)降格が決まっている古巣CAリーベル・プレートへレンタル移籍。レギュラーとして、1年での昇格に貢献する。 2012年8月、ラージョ・バジェカーノへ完全移籍。 2016-17シーズン限りでギリシャを去ると、2017年8月7日にラージョへ復帰することが発表された[2]。 2019年6月28日、現役引退を発表した。 イタリア国籍も所持しており、ロシアでの生活が長かったということもあり、ロシア語が堪能である。
経歴
人物
タイトル
クラブ
リーベル・プレート
プリメーラ・ディビシオン : 2002クラウスーラ, 2003クラウスーラ, 2004クラウスーラ
プリメーラB・ナシオナル : 2011-12
ルビン・カザン
コパ・ラ・マンガ : 2005, 2006
ロシア・プレミアリーグ : 2009
ゼニト