アレッツォ
Arezzo
行政
国 イタリア
州 トスカーナ
県/大都市 アレッツォ
CAP(郵便番号)52100
市外局番0575
ISTATコード051002
識別コードA390
分離集落#行政区画参照
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
公式サイト ⇒リンク
人口
人口98,018 [1] 人 (2012-01-01)
人口密度253.8 人/km2
文化
住民の呼称aretini
守護聖人San Donato
アレッツォ(イタリア語: Arezzo 発音[ヘルプ/ファイル])は、イタリア共和国トスカーナ州にある都市で、その周辺地域を含む人口約9万8000人の基礎自治体(コムーネ)。アレッツォ県の県都である。
アルノ川中流に臨み、中世の美術で著名。 アレッツォ県南部のコムーネ。シエーナから東北東へ約48km、ペルージャから北西へ約57km、州都フィレンツェから南東へ約61km、首都ローマから北北西へ約180kmの距離にある。 隣接するコムーネは以下の通り。PGはペルージャ県所属。 アレッツォの歴史は非常に古く、アレッツォの分離集落であるオルモ (Olmo
地理
位置・広がり
隣接コムーネ
アンギアーリ
カポローナ
カスティリオーン・フィボッキ
カスティリオーン・フィオレンティーノ
チッタ・ディ・カステッロ (PG)
チヴィテッラ・イン・ヴァル・ディ・キアーナ
コルトーナ
ラテリーナ
マルチャーノ・デッラ・キアーナ
モンテ・サン・サヴィーノ
モンテ・サンタ・マリーア・ティベリーナ (PG)
モンテルキ
スッビアーノ
歴史.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}が望まれています。 (2013年11月)
古代ローマの歴史家ティトゥス・リウィウスは、アレッツォがエトルリアの首都 (capitae Etruriae) の一つであると著書に記している。
エトルリア同盟 (Lega dei popoli) の一部であり、ドデカポリス (it:Dodecapoli etrusca) と呼ばれる12の主要都市の一つに数えられている。エトルリア時代のアレッツォはサン・ピエトロの丘(現在はアレッツォ大聖堂がある)とサン・ドナートの丘(現在のメディチ家の城塞がある)の付近一帯を占めており、周辺地域との交易の中心でもあり、1万から2万の人口を擁したと推測されている。当時、数多くの神殿や聖堂があり、土器や青銅器、像などが数多く発掘されている。「アレッツォのキメラ」として知られる像や、エウフロニオスの作と推測されるヘーラクレースとテラモーンがアマゾーンと戦っている場面が描かれているクラテール(甕)などがアレッツォ近郊から発掘された物として有名である。
アレッツォのキメラ
アレッツォのミネルヴァ
古代ローマ共和国が勢力を拡大する紀元前4世紀後半には、アレッツォは次第にローマへ併合されていった。ローマ時代にはアレティウム (Arretium) の名で呼ばれた。紀元前283年ころにはガリア人が町を包囲した(アレティウムの戦い)。ポエニ戦争の頃になると、大量の穀物、武具といった軍需物資を供給するなど、ローマでも重要な地位を占めるとともに経済や農業の発達を見ることができる。帝政ローマにおいても、アレッツォはローマの第3の都市として栄えていた。農業活動が充実し、独特の押印模様のあるアレッツォ陶器は100以上の陶器製造工場が存在し、古代世界の至るところに輸出され町の主要な収入源となっていった。
アレッツォ陶器
フィリッピーノ・リッピ作 聖ドナート ノースカロライナ美術館所蔵